鬼をうつ、太鼓をはたく~表現プロジェクト演習Q「佐渡のお祭りに参加しよう!」

「表現プロジェクト演習Q」TA担当の大学院現代社会文化研究科1年 菅原悟です。9月12日から16日まで、「表現プロジェクト演習」の授業の一環として、佐渡市徳和地域の大椋神社の例大祭において奉納される芸能の一つである、鬼太鼓(オンデコ)に参加する取り組みが行われました。祭り当日は15日で、12日から3日ほどかけて練習します。これは令和6年度の記録になります。

鬼太鼓と「表現プロジェクト演習Q」

▲徳和地図。国土地理院地図を用いて筆者作成。

この鬼太鼓は、徳和地域の中でも、浅生という集落の人々が代々受け継いできた芸能です。この浅生の鬼太鼓は、名前にもなっている三匹の「鬼」が徳和の家々を回って、太鼓のリズムにあわせて、薙刀やまさかり、ばちを持って、その玄関先で舞い、徳和の神社である大椋神社に奉納する、という行事です。「表現プロジェクト演習Q」は、三日間の練習で太鼓と薙刀を覚え、祭りに参加するという授業です。

9月9日、徳和浅生集落の鬼太鼓に参加するにあたり、学生の顔合わせ、打ち合わせ、事前学習が行われました。過去に人文学部民俗学研究室で発行した民俗調査報告書や、YouTubeにアップロードされている動画を見ながら、徳和という地域、祭り、鬼太鼓という芸能について概要を確認しました。

佐渡到着~稽古初日「習うより慣れよ」

9月12日、9時25分に新潟を出港する便に乗り、お昼前に佐渡に到着、宿に荷物を置いて、午後から早速稽古を行いました。

▲太鼓の稽古初日

初日は、「習うより慣れよ」ということで、宿にお越しいただいた、指導役となる浅生の方々に手本を見せていただき、真似をする、という形で練習しました。腕の動かし方や、太鼓に対する立ち方を教わりました。今回は学部生が8名、経験者である大学院生が2名ということで、昨年度と比較すると人数が増えたため、太鼓で練習する頻度が多くはありませんでしたが、初日からコツをつかんで上達する様子も見られました。浅生の鬼太鼓は、リズムに合わせて、鬼や打ち子(太鼓に合わせて踊る子供たち)が踊るので、音のメリハリが重要です。

▲薙刀の稽古初日

また、今回は初日から薙刀の練習も行いました。薙刀は自分の身体の上で回したり、腰を落として跳ねて地面を踏みしめたりする動き、それから気迫のこもった掛け声が必要ですので長年継承されてきた芸能を習得する難しさを知ることができました。門付けの際、ハナ(ご祝儀)が大学生に上がった際には、薙刀を舞う必要がありますので、集落の皆さんに披露できるように必死に練習します。

▲夜の稽古初日

午後の稽古が終わると、休憩と夕食をとってから、浅生集落で行う夜の稽古に向かいます。太鼓に慣れていない学生も多いので、休憩時間はたっぷりとっています。この休憩時間に宿泊所の目の前に広がる海で遊ぶ学生も何人か見られました。夕食にはカニが出るなど豪勢で美味しい料理で英気を養いました。半日の練習で、腕が痛くなったり、手の皮に豆ができたり、皮がむけたりする学生もいました。

14日の夜まで毎晩夜の稽古があり、集落の人々が大浅生家という家の庭に集まって稽古をします。小学生から中高生、大人まで集まって提灯やライトで照らされながら太鼓を叩く「裏打ち」、太鼓に向かって踊る「打ち子」、薙刀やまさかり、ばちを持って舞う鬼が合同で練習します。

この場では、集落の人たちの叩き方や、打ち子、鬼の様子を見たり、話を聞いたりしながら、祭りに向けて練習を重ねます。こういった場所に来ると、少数の指導役の方と学生のみの練習とは勝手が違い、苦労する様子がうかがえました。

前半は裏打ちと打ち子、休憩をはさんで後半は裏打ちと鬼という組み合わせで稽古を行いました。裏打ちの交代の仕方もここで練習をし、祭り当日の動き方も学びました。

稽古2日目「集落の方たちからの稽古」

▲座学

13日の午前中には、座学で鬼太鼓の概要を集落の方から改めて教わりました。鬼太鼓の系統や、成り立ち、踊りの所作の意味、そういったものを踏まえて、練習にも一層身が入ります。

▲ばちの練習

今回初めての試みとして、ばちを持った踊りに挑戦しました。これは薙刀よりも難しく、髪を振り乱したり、太鼓を金山に見立ててばちで撃ち割るような動作だったり、ばちをタガネとノミに見立てて踊ったり、といった所作が加わり、とたんに難易度が増します。

午後は奉納する大椋神社を見学しました。草刈りや提灯の飾りつけ等、お祭りのための準備を行っている様子を見てきました。このような集落の人たちの協力によって、当日のお祭りの運営が円滑に進みます。かつての日本各地のムラでの祭りを中心とした生活の姿を徳和で見出すことができました。

▲道中 練習

その後、集落の方たちからの稽古で、太鼓、薙刀、ばちもまとめて練習を行いました。さらに祭りの本番を見越して、太鼓を担いで歩く練習や、道中という、家から家へ歩く間の太鼓の練習を行いました。

稽古3日目「佐渡の歴史文化を学ぶ」

14日には、午前中に太鼓、薙刀を重点的に練習しました。特に薙刀の足の運び方が難しく、薙刀と合わせられなかったり、全員でそろわなかったりして、なかなか大変でした。

▲町並み巡検

午後は佐渡の歴史文化を学ぶ一環として、小木に巡検に行きました。宿根木の街並みから、港町の生活を、博物館では、小木港が佐渡の歴史、文化に与えた影響を学びました。

夜の稽古も早くに切り上げ、お祭り当日に備えます。

お祭り当日「20数年ぶりの雨の中」

▲お祭り当日

15日目、いよいよお祭り当日となりました。早朝5時に大浅生家に集合し、お祭りが始まります。残念ながら今年はあいにくの大雨でした。このような雨は20数年ぶりということで、浅生のみなさんも天気を気にしながらのお祭りとなりました。

大浅生家では、衣装に着替え、太鼓に笹の飾りつけをし、無事お祭りを終えることができるようにお祓いと祈願を受けます。雨の合間を縫いながら、大浅生家で貰ったハナに応えて鬼や打ち子がでます。大学生も3日間の特訓の成果を披露しました。

▲大学生 薙刀を舞う

徳和の鬼太鼓では、ハナを貰うときに、誰に鬼をやって欲しいとか、どの打ち子が見たいとか、誰に打ち子をやって欲しいとかというふうに指名されることがあります。自分の親戚や、親子兄弟、ほかにも単純にお気に入りの者を指名したりします。このハナは指名された人のものになるため、子どもたちにとってはお小遣いの稼ぎ時でもあります。

大雨に翻弄されながら普段とは異なるルートをとって数件の家に門付けして回ります。お酒やジュース、軽食、お菓子でもてなしを受けながら徳和の集落を回ります。

9時前くらいには雨がひどくなってきたため、一時的に公民館に避難しました。昼になるまでは風雨が凄まじく、この先の運営や、ほかの芸能(神輿、大獅子)との連絡をしながら、晴れ間を待つことになりました。

▲公民館に避難

お昼の時間には、本来であれば、その年の当番の集落が御旅所(おたびしょ)という休憩場所を用意し、食事なども用意し、ほかの芸能とも集まって交流するという形でしたが、今回は、大雨のため、当番の集落から食事を貰ってきて、公民館で食べるという形になりました。

▲午後の太鼓

その後、2時ころから雨が弱まったので、鬼太鼓を再開しました。大椋神社への奉納は省略し、我々大学生は大雨に濡れてしまったこともあり、後ろ髪を引かれる思いで午後6時の段階で撤退することとなりました。夜はゆっくり体を休めて、16日のフェリーで帰りました。

徳和でのお祭りの所感

私自身は今まで2回参加していますが、大学生側は全員初参加で、佐渡に渡ること自体初めてという者も多く、なかなか強烈な体験だったのではないかと思っています。今回はあいにくの雨模様でしたが、その中でもできるだけ祭礼を行おう、続けようとする「熱意」が浅生、そして徳和全体にあるのが感じられました。

この授業のパッケージにおいては、座学での知識や、体験、練習といった、いわば鬼太鼓に参加するうえでの最低限必要となる技能を身に着けてから、本番のお祭りに参加する、という順番をとっています。

しかしながら本来、浅生で暮らしている人々は、小さいころから鬼太鼓を見て、聞いて育ってきています。実際、小さい子が子供用の法被を着て、お母さんに連れられていました。そうしてお祭りを見ている中で打ち子として参加し、家族や知人が裏打ちをしたり、鬼を打ったりしているのを見て、親近感と憧れを感じながら成長していきます。そうして自分もまた裏打ちとして太鼓を叩いたり、ハナをもらって鬼を打ったりする中でお祭りの中でだんだんと重要な役割を演じるようになります。その中で責任感を持って継承していくといった経緯でお祭りに関わっています。

学生の「お祭り」のイメージとは?

「表現プロジェクト演習Q」に参加する前、「出店が出てるから遊びにいくもの」、「お祭りの担い手とは一段ちがう」、「参加するということについて想像もつかなかった」などといった声が聞かれました。

そんな学生たちも、いざ参加してみると、「本からは得られない経験」だったとか、「地元の方たちが打つ太鼓の音にはどうしてもならなかった」などといった声が上がりました。地域で育まれるお祭りの雰囲気といったものを学生たちも感じることができたのではないでしょうか。この雰囲気を作り出してきたのは、江戸時代から続く長い時間の中で、継承してきた歴史の重さにほかならないでしょう。

「かっこよく鬼を舞う姿」や、「鬼が踊りやすく、力強い太鼓」に憧れ、お祭りを支え、さらにはお祭りそのものの実行を担う立場になっていくという生き方が徳和にはあります。このような世代を超えて受け継がれる地域の熱意と愛情というものは、大学で授業を聞いているだけでは出会えません。

今回の授業に参加した学生たちには、そうした「地域で暮らすこと」、「超世代的に継承していくこと」の難しさ、楽しさ、責任感といったものの断片でも感じ、これからの人生で活かしていくことができればなによりの収穫だろうと思います。

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