地理学の柱、語る‟鬼滅”視点で見る地理の世界~太田凌嘉先生にインタビュー!

こんにちは!社会文化学プログラム地理学専攻3年の東海林、向田と、1年の太田です。 「新任教員インタビュー」として、地理情報科学・自然地理学を専門にする太田凌嘉先生に お話を伺いました。

先生は主に、地形のでき方・壊れ方を調べる研究や、「はげ山」についての研究をされています。 先生の大好きな『鬼滅の刃』のお話も交えつつ、学生時代の思い出や、挑戦と情熱に満ちた研究者としてのキャリア、そして新潟大学で地理を学ぶ魅力について熱く語ってくださいました。

私たち学生も、恵まれている環境の中で、好奇心に素直になり新たな地平を切り開いていこうと思いました。

  • 日時:2025年6月13日18時~19時30分
  • 場所:総合教育研究棟A418
  • インタビュアー:東海林真央(社会文化3年)、向田歩実(社会文化3年)、太田純美礼(1年)
  • インタビュイー:太田凌嘉先生(人文学部人文学科 助教)
  • 記事作成:東海林真央、向田歩実、太田純美礼
写真:太田凌嘉先生

心を燃やして生きる!~一頻りの雨に流されぬ花を咲かせて

東海林:まずは、先生のご経歴をお願いします。

先生:私は1994年7月に生まれてから高校を卒業するまでを福島県いわき市で過ごしました。94年生まれの方は様々な分野で活躍されているので、“ワンダフル世代”と呼ばれていますね。私も“ワンダフル”な人生を歩み続けていきたいなと思っています(笑)。

ドラえもんの映画などでご存じの方もいるかと思いますが、私のふるさとは、化石や石炭が採れることで有名です。私はいわゆる「ニュータウン(本来、山であったところを開発してできた住宅地)」育ちでして、ちょうどその開発途中のニュータウンで少年時代を過ごしたので、露頭という、地層がむき出しになった場所があちこちにありました。

園芸用のスコップで叩くと割れるくらいに軟質な岩石のなかには、貝や歯の化石がはいっていて、「なんだこれ!、探すのめちゃめちゃ楽しい!」とあちこち探し回っていましたね。化石が採れる露頭がだいたい山のなかにあるとわかってからは、露頭の近くを流れる川がどこから始まるのかを熱心に地図を読みながら探し出したりもしていました。幼稚園年長から小学校低学年ぐらいのときの話です。

地理への興味、ひいては「フィールドで何かを発見するたのしみ」を覚えたのがちょうどその頃ですかね。今こうして自然環境を研究対象とする地理学者になれたのは、新しいまち がつくられる過程で、つまり、人工物に自然が埋もれる前にもともと埋もれていた自然を垣間見えた時期に、のびのびと育ったということ自体が重要だったように思われます。

向田:大学時代のことについてお伺いしたいです。

先生:高校卒業後は、専修大学文学部環境地理学科に進学しました。私は地理学のなかでも地形や植生、気候といった自然環境を対象とする自然地理学、とくに地形学を専門とする研究者ですが、実は大学入学時点で地形学に興味があったわけではないんですね。

正直なところよく考えておらず、「環境」とか、聞こえのよい言葉に惹かれて進学を決めました。先ほどお話ししたように、少年時代は自然のなかで遊ぶことに夢中でしたが、習い事(ピアノなど)や部活をはじめてからは、自然のなかに身をおいてひとりでじっくりと考える時間が少なくなり、周りの人びとの意見・行動に同調し、面倒なことを避けてとおるようになってゆきました。

今思えば自分の頭で考えているようで考えていなかったわけですね。そんな私は、入学当初に「なんかカッコよさげだな」と思って、まちづくりに関する人文地理の研究を志向していましたが、転機は大学2年次に訪れます。

ちょうど10年くらい前になりますね。様々な災害が各地で発生したのを覚えているでしょうか。私は高校生の2011年に東北地方太平洋沖地震やその1か月後に市内で発生した福島県浜通り地震、そして原子力発電所の事故に伴う社会の混乱を実際に目の当たりにしてきました。

「環境」とか「まちづくり」みたいなパワーワードに私が惹きつけられたのはこの時の経験によるものだろうと回想していますが、いろいろと勉強していると「そもそもなんで地震があの時あの場所で起きたのか」とか「津波の被害を免れた神社が多数あるのに、なんで再起不能な程に破壊された住宅地があるのだろう」という風に、人間がつくる社会をどう形成していくかということよりも、私たちが暮らす社会の基盤となる大地の不思議さに関心が強くなってゆきました。

この頃の私の心に浮かび上がった疑問は、のちに私の指導教員となる先生が担当していた地形学の講義を受講してゆく過程で解消してゆきました。地形のでき方・壊れ方を理解することが、地殻変動だけでなく、気候変調や人間活動を捉えることに繋がり、ひいては、近未来に起きうる様々な環境問題に対処するための知恵を得ることになります。

見慣れた景色の中にも不思議なことがたくさんあり、先人は身近な環境を上手に活用してきたのだと気がついたとき、ようやく私に物心がついたのですね。それ以降は、地形学を中心とした学修を進めてゆきました。

研究者になることを志した契機もほぼ同時です。私は地形学の講義のなかで、宇宙線生成核種をつかって地形の形成年代や変化速度を決定するという分析手法があるということを知りました。みなさんも放射線って聞いたことあると思うけど、宇宙線はその一種です。

宇宙線が大気中を通過して地表面に到達すると地形を構成している岩石にぶつかり、鉱物中の酸素からベリリウムという元素が生成されます。この同位体は、ある場所に存在した時間分だけ蓄積しますので、山地斜面の場合、岩石が風化して土となり除去される時間、すなわち削剥速度がわかるし、氷河が後退したあとに地表に露出した岩石ならば(あまり削られていない場合)、地表面が露出した年代がわかるということです。

この方法論は、私が生まれた1990年代に主として米国で確立されました。なんだかよくわからないけど「へえー」って感じかもしれませんが、私はこの手法が開発されたことによりダーウィンの研究が実証されたと知った時が一番驚きました。

「ダーウィンのミミズの研究」って絵本を読んだことがありますか?ダーウィンはミミズの観察を通じて、土が生成される速度は場所によって異なるはずで、例えば土の厚さとか生物活動の活発さが重要でないかと推察していたのですね。

経験的に知られていたこのことが、宇宙線生成核種分析という手法の登場により時を超えて証明されたというエピソードに心底感動した私は、「自分も研究を通じてこんな感動を味わってみたい!」と心に火がつきました。

その講義を受けた日、「意識高い系の学生が質問しているぜ」みたいな周囲の冷ややかな目線を気にすることなく、今この好奇心を絶やしたら一生後悔するかもしれないと、恥ずかしがらずに指導教員へ研究の相談をしました。

もしこのときに私が正直に相談へ行っていなければ、今こうして研究者になることはなかったでしょう。そして、恩師が私の意志を尊重して懇切丁寧に導いてくださったからこそ、ここまでやってくることができました。

というのも、宇宙線生成核種分析を自分で取り扱えるようになるには、地理学のことだけでなく、物理学や化学のことも勉強しなければなりません。また、宇宙線生成核種分析を適用できる地形学者は、私を含めて国内に数人しかいませんので、学部で伝統的な自然地理学を学んだあとは、京都大学の理学研究科地球惑星科学専攻に進学して研究を続けました。

私もみなさんと同じでいわゆる「文系の学生」だったので、必要なことは一から勉強しなければなりません。指導教員から紹介いただいた文献を最初に読んだときは理論的なことを全く理解できずに苦しみましたが、先生や同僚から叱咤激励を受けながら、諦めずに一生懸命勉強しました。まさに「好きこそものの上手なれ」。努力は実を結んで2022年9月に博士(理学)の学位を取得しました。

京都での5年半の濃厚な研究生活が、今の私の基礎となっています。今の私がみなさんと接しているときに大切にしている心構えは、私の師匠のよき姿にならったものなのです。酸いも甘いも経験した京都、本当に素敵なまちです。みなさんもぜひ行ってみてください。

学位取得後は東京で2年半、ポスドクとして研究を続けていました。「ポスドク」って知っていますか?ポストドクトラルフェロー、つまり博士研究員のことで、研究者の修業期間みたいなものですね。

私の大好きな『鬼滅の刃』で例えると、博士号の取得が「鬼殺の隊士」になるようなもので、研究機関に勤めている研究者が「柱」だとすると、その前の修業期間が「ポスドク」に当たります。もちろん本物の鬼は倒していないのですが……(笑)

そして現在、新潟大学に来ました。

東海林:では先生は、今『柱』なんですね。

先生:う〜んっと、今の例えから行くとそうですね。新潟大学にはいっぱい『柱』がいて、その仲間入りをした、といったら良いかな(笑)。

身近な自然環境の不思議を探究することに全集中~わが日輪刀は「シャベルやねじり鎌」!

東海林:先生の研究内容について教えてください。

先生:私の研究をひとことで言いあらわすならば「地形のでき方と壊れ方を調べること」です。人びと の暮らしと密接にかかわっている自然環境の不思議を究明しようと様々なフィールとで奮闘しているところです。

例えば、学士課程の卒業論文では、斜面変動の過程で山腹に形成された湖沼がいつからどのくらいの期間存続したのちに、どのような過程を経て消失したのかを、堆積物中に挟材する火山灰層や花粉化石を手がかりとして解明しました(cf. 太田凌嘉ほか、2025:第四紀研究)。

また、博士課程からはいわゆる「はげ山」を研究対象として、いつから環境が変化し、ひとたび環境が遷移すると元に戻るのが難しいのかを地道なフィールドワークと同位体分析・地理空間情報解析を組み合わせて解明してきました(Ohta et al. 2022: Geomorphology)。

みなさんもスタジオジブリの『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』を見たことがあると思いますが、まさにあの世界観です。ご存知のない方達は、私たちが森林植生を伐採しても時間が経てばすぐ元の環境に戻るだろうと思うかもしれませんが、実はそうはいきません。

森林植生は自らが生存するために必要な斜面土層を崩れないように抑えています。私は、現地調査・地理空間情報解析・試料分析を組み合わせることにより、植生による効果が喪失すると不安定化した土層が系外へと流出するようになり、さらには、充分に風化していない非粘着質なレゴリスが生産されるようになるために、一度失われた肥沃な土が斜面を覆うことが難しくなるのだということを論証してきました。

樹木根系による効果を評価するためには、異なる土層厚でどういう強度を発揮するのかを調べる必要があったので、合計して150個くらい穴を自分の手で掘るのとともに、その断面に露出する樹木根の分布と強度をつぶさに計測しました。いやあ、とても大変でした

向田:ものすごい数ですね。1つの穴を掘るのにどれくらいの時間がかかるのですか?

先生:斜面土層の厚さはだいたい1 mで、一番深いものだと2mくらいになります。ただ厚さを測るだけでなくて、土層の断面構造を記載するために、私自身が穴に入って観察する必要がありますので、1つの穴につき一辺が50 cm以上の穴を掘る必要がありますから、1つの穴を掘るたびに1トン程度の土砂を掘り出していたわけですね。

体力的にも技術的にも研ぎ澄まされていた(?)博士課程のころは、1つの穴を早ければ30分で掘り上げていました。そんな私のニックネームは「ソイル・エクスカベーター(Soil Excavator)」とか「人間ブルドーザー」でした笑

私のお気に入りである金象印のシャベルはとても土を掘るのに適した形状になっています。まさに私にとっての日輪刀ですね笑 このスコップをつかってデータを丁寧に集めたおかげで、田上山地では土層の完全な喪失が過去300年間に劇的に進行したこと山麓堆積物の同位体分析から実証するとともに、植生が再生不能となるほどの人為影響が加わると流域の環境が元の状態へと戻れなくなることを多面的な証拠に基づいて定量的に論証できました。

人間による森林資源の収奪により山地流域の環境が遷移したのが平安時代か江戸時代かで微妙に意見がわかれていなのですが、植生の変化と土層の喪失という事象をデータに基づいて丁寧に検討することで、江戸時代であるという結論を導いたのが私の研究です。

この研究は、人為的侵食加速の評価のために宇宙線生成核種を適用できることを初めて実証したものなので、今後、いろんな事例で調べてみたいですね。また、東京でのポスドクの間は、それまでに培ってきたスキルを応用して、活断層など地殻変動によって形成された地形の研究を行っていました。

写真:学生時代の太田先生

新たに着手する研究のテーマというのは思いがけないところから見つかるものです。例えば、山地斜面で穴を掘っていると、土のなかから炭のかけらがたくさん出てくるときがあります。また、不自然に割れた岩石が尾根上に露出していたりします。

気になって調べてみると、落雷の影響が大きいようなのです。ハゲ山の研究から突然話題が全く違うものになったように感じるかもしれませんが、雷も地形形成の重要な営力なんです。例えば、岩石が土になるには風化する必要がありますけど、雷によって岩石が割れれば、水と空気が触れる表面積が広くなりますので、岩石の風化が促進されます。

そう考えると、一見関係の無さそうな雷も地形の発達に寄与しているかもしれないというのがお分かりいただけるでしょうか。雷電がつくる地形の研究については、大学院生のころに気づいてからいつかやってみたいなと思っていまして、ちょうど今、新潟大学に来てから国内の地形研究者と共同で始めてようとしているところです。

ちなみに、私がポスドクの頃に住んでいた東京の自宅は、「雷(いかづち)」という地名の場所にあったので、勝手にご縁を感じています笑

東海林:私が住んでいた地域にも雷という地名がありました。

先生:ほんとですか!?地理院地図で「雷」と検索すると、たしかに雷っていう地名は意外といろんな場所にありますね。それは実際に落雷があった、あるいは起きやすい地域なのかもしれませんね。

例えば、雷の由来がある場所へ赴いて、コンパスで岩石の磁気とその位置情報を調べて、地理空間情報システム(Geographic Information System:GIS)で解析をすることにより、雷にまつわる伝承の真相や特異な形状をもつ岩石の成因を究明することができますね。まさに地名は雄弁にその場所の情報を教えてくれるし、データはその状況証拠となりますね。

恵まれた学修環境で地理学に「全集中」!~新潟大学ならではの魅力

先生:そういえば実は新潟大学って、地理の勉強をするのにすごくいい大学なんですよね。私は、いわゆる文系理系、国立私立と日本中のいろんな大学を渡り歩いてきたけど、教員だけでなく学生のみんなもGISソフト(ArcGIS Pro)が無料で使える大学っていうのは(多分)新潟大学しかないよ。

東海林:そうなんですね…!当たり前のように使っていました。(笑)

先生:Adobe ExpressやMATLABを無償提供いただいているのも貴重なのですよ。私たちは自分のデバイスで、お金のことを気にすることなく、好きな時間に自由に創造できるわけです。まことにありがたいことですね。

みんなはわかりやすく数値化された入試の指標でしか大学を捉えていないかもしれないけど、私は新潟大学ってほんとにすごいなって思っていたし、みなさん自身にも、素晴らしい学修環境を提供いただいていることを、自分の大学を 誇りに思いながら、たのしく研究に励んでほしいですね。

私にとって新潟は仕事と生活を両立するのにとても合っている気がしています。朝起きると自宅の庭先でスズメがさえずっていたり、今の時期は夜になると大学近くの田んぼでカエルが鳴いていたり……。都会の喧騒から離れ、丁寧に時間を過ごすことができており、心と体の状態がすごくよいですね。

これから子育てや余暇をたのしむにしても、新潟ならのびのびとやっていけそうです。そうそう、引っ越しの関係で新潟をはじめて訪れたのがまたま大雪の日だったのですが、その日に総合教育棟の玄関前で、学生がかまくらを作っていたのですよ。

その光景がすごく印象的で。「学生がいきいきとしているな。ああ、ここに来れてよかったな。」と心底思いました。旅する地理学者があちこち行って、行きついた先が新潟でとてもハッピーという話ですね(笑)。

太田:本当にいいところですよね。

写真:根曲りした木々の中にたたずむ太田先生(新潟県上越市)

先生:そして、新潟大学って、地理的センスがいい大学なのだよね。例えば、校章の「六花」は雪の結晶で、この形もある決まった条件でできるものなんだよね。しんしんと降る雪にもその場所の個性が反映される。

普通校章って花とかいろんな文様にすると思うんだけど、新潟大学は、身近な場所の地理を反映して雪の結晶を、学び舎を象徴するものとして採用している。なんて素敵なアイデアだろう、と私は思いました。

先生:また、私の研究活動と関連するところだと、新潟大学には災害・復興科学研究所という附置研究所がありまして、雪や地すべりの研究が積極的になされてきたという背景があります。

というのも、新潟は地すべりの発生件数が日本第1位であると同時に、その恩恵を受けた日本一美味しいお米の生産量も国内第1位なんですね。これは日本の地すべり分布図をみていただくと一目瞭然です。

向田:そうなんですか!でも、地すべりがよく発生するというのは怖いですね。

先生:そう。だからこそ、私が自然環境の不思議を探究しているように、身近な場所の来し方を理解することで行く末を考える、つまり危険を我がこととして捉えて、近未来の備えをする、「未災」(私が在籍していた京都大学防災研究所が提唱している概念で、私の恩師である釜井俊孝先生がご著書などを通じて広く伝えておられます)の実践が大切になりますね。

人文学部については、学生のみなさんが楽しそうにキャンパスライフを過ごしているというのが印象としてあります。誰かに言われて研究をやらされているという感じは全くなくて、自分が好きで学んでいることを熱心にやろうとしている、みんなの真摯な姿勢が印象的です。

だから、講義や実習でみんなと関わる私もハッピーな気持ちでいられるし、みんなにはもっとたのしんでもらいたいし、さらにはみんなと一緒に力をあわせて、ともに強くなりたいなって心底思っています。

東海林:なんだかうれしいです。(笑)

先生:みなさんの「当たり前」には、「当たり前ではない、有難いこと」が内包されているということですね。また、新潟大学の学生は、サークル活動などプライベートなアクティビティーも一生懸命取り組んでいるのが良いですね。

勉強もちゃんとやって、サークル活動も活発にやっているのは素晴らしいことです。キャンパス内で学生がいきいきとしていると、大学の雰囲気もよくなるものです。みなさん自身が主人公として躍動し、教員はそれをサポートしています。

また、教員とともにみなさんも熱心に研究に励んでいるのがいいですね。新潟大学って実はいろんなところでみんなにチャンスを自然と与えてくれている。とにかく自分と向き合うにはすごくいい環境にあるのかなって思います。春先の風はちょっと強すぎるけどね。(笑)

向田:嚙み締めなきゃ。

先生:また、僕の研究室の看板は「地理情報科学」となっているのですが、それにはちょっとした想いというか、意図があります。例えば人文地理学とか自然地理学とかいうと、あれ?こっちの先生は文系で、こっちの先生は理系なのかな?と、地理学を全く知らない人にとってはよくわからないですね。

私自身も、分野でくくる、型にはめてしまうような感じがしてあまり良くないなと思っており、実際に分野の垣根を超えた研究を展開していますので、インクルーシブな表現にしました。新潟大学は、今年度入学の学生から、デジタルサイエンスの勉強を必修化していますし。

太田:そうですね。

先生:大学をあげて情報技術に長けた人材を育てようとしているように、私も地理学の教育と研究を通して、地理空間情報を柔軟に活用できる人材を育ててゆきたいと思っています。先ほどお話ししたハゲ山の研究もそうなのだけど、「私は地理屋だから」みたいな感じで閉じこもっていて周辺領域との交流がないと、真に物事って理解できないし、課題を打開できないんですよ。

問題解決のために最適な手法を選択して、つまり必要なことを能動的に学び実践できる学生を育成したいし、私も引き続きそういう風に研究したいと考えています。文理でくくらずに、「地理学」を志向して、さらに情報科学のリテラシーもある人材を育てる、そういう願いを込めて「地理情報科学」という看板を研究室に掲げています。

若人よ、心を燃やせ!~新潟大学の学生へメッセージ

東海林:先生の棚には、『鬼滅の刃』のグッズがたくさんありますね。

先生:改めて言われるとなんかこしょばゆいですね(笑)。私のことを何も知らない人は、「漫画とかポップカルチャーにまったく興味のない真面目な人(ややネガティブなイメージ?)」という第一印象を持たれるようなのですが、人は見かけだけで判断してはいけませんね。

ええ、私は『鬼滅の刃』が大好きです。なんで好きかというと、ただ単に作画が素晴らしいとか、人間描写のなかにぐっとくるものがあるからというだけでなく、よく練られたストーリーの展開に研究と共通する部分があるからなんだよね。

例えば、作品冒頭で、隊士に与えられた刀身の色が持ち主によって変わるシーンがあります。みんな赤色とか青色とかになっているのに主人公の炭治郎くんは、周囲の人とは違う黒色になっていて、その本当の意味を知る作品の途中まで気にしているのだけど、あれ結構重要なメッセージだと思っています。

というのも、私も実際に体験したことなのだけど、これってみんなにも起きうる話だと思います。例えば、私が大学に進学する過程がそうであったように、周囲の人びとの言動が気になってしまって、本当に好きなことを押し殺していた過去があります。まさに私だけ黒色みたいな状態だったのね。

でも、私の人生はわたしが決めるのだから、他人との違いを比較しなくてもいいんだなって、研究しながら気づきました。もちろん地理じゃなくてもいいわけです。

先生:私の仕事のモットーは、「泥臭く、丁寧に。」ですね。学生と対話をしながら、キャッチボールをしながら、お互いの呼吸をあわせて、ともに強くなろうというスタンスで教育や研究に取り組んでいます。

向田:太田先生の授業を受けている学生が羨ましいですね。私も受けてみたいです。

では最後に学生時代の思い出と、学生へ向けてメッセージをお願いします。

先生:アンパンマンとか煉獄杏寿郎とか、スーパーヒーローのセリフみたいなこと言いますが、みなさん自身が夢と希望をもって、挑戦することを恐れないでほしいです。

私の大好きなKing Gnuの曲にあるように「この人生はたった一度きり」なのです。あっという間に20代は終わり30歳になります。その先もきっとそうです。

時間を活用して、丁寧に生活してほしいです。このメッセージについては、私が実践してきたことを紹介しながら説明しますね。

先生:まず学生時代にしていたアルバイトについて話しましょうか。大学に入った頃は、先ほどお話しした通りで、やりたいことも将来の夢も漠然としていたものの、何かを伝えたり作ったりすることが好きで、それを仕事にしたかったということもあり、テレビ局でアルバイトをしていました。

地形学の研究室に配属してからは先輩が勤務している建設コンサルタント系の会社で現地調査や地形解析のアシスタントとして働き、修士課程のときは自宅近くにあった銭湯でバイトしていました。きっかけはそれぞれですが、やりながら「この仕事もしかしたらこの後一生就けないかもしれないな」っていう思いで仕事をして、自分がやりたいと思ったことを探しては挑戦し続けていました。

楽しかったこと辛かったこと、いろいろなことがあった20代だったけど、酸いも甘いも全て今の私の血肉となっていますから悔いはありません。このほかにも、フルマラソンに挑戦してみたり、大学のある京都から実家のある福島まで4日かけてバイクで帰ってみたり、「今逃したら今後絶対できないだろうな」ってことをしてきました。

学生のうちは使えるお金に限りがありますけど、その代わりに自由に活用できる時間があるわけですから、学生である今のうちに限られたお金と時間を有効活用してたのしむ、工夫するたのしさを見出してほしいなと思います。

ひとえに、根拠のない意見やうわさに惑わされず、自分でやると決めたこと、やりたいと思うことをやり通してほしいということです。例えば、私が文系の学部を出てから理系の大学院に進学しようとしたときも、博士課程へ進んで研究者になろうと志す覚悟を決めた時も、周りの人びとからはネガティブなことを結構な頻度で言われましたが、「やってみなければわからないし、そもそも勝手なことを言っている人ほどよくわかっていないじゃないか」と自分の中に揺るがない意志が芽生えていました。

Webサイトや新書本等の「サクッと拾ってきやすい情報」を吟味しなければ、好き勝手なことは誰でも言えますからね。これは私のキャリアパスについての話ですけど、勘違いしないで欲しいのは、「自分勝手にやっていいんだ」ということではなく、周囲の人びとが言うことなすことをそんなに気にしすぎることはなく、自分の頭で考えて実践すれば後悔することはないし、どう言う結果になろうと真摯に受け止めて前進すれば良いということです。

私たちの人生をよりよいものにするのは私たち自身です。自分がやりたいと思ったことは、工夫して、策を練って実践し、困難を乗り越えて逞しくなってほしいです。

東海林:すごい、エピソードが沢山ありますね

先生:スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」にでてくるかまじいの部屋の引き出し並みですかね(笑)

東海林・向田・太田:たくさんお話が聞けて楽しかったです。

本日はありがとうございました!

●太田 凌嘉(おおた りょうが)先生
・専門:地理学、自然地理学、地球人間圏科学、地形学
・所属:人文学部 社会文化学プログラム

 

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