「国境を越えて歴史を探る」〜畔栁千明先生にインタビュー!

人文学科の鈴木、中国語学・中国文学の酒井、英語学の島守です。「新任教員インタビュー」として、ロシア文学・文化、中露関係史を専門にする畔栁千明先生にお話を伺いました。

これまではあまりロシアに触れることがなかったですが、先生のご研究内容や学生時代の体験などのお話を聞いて初めて知ることが多くあり、終始楽しくお話を聞かせていただきました。

  • 日時:2025年6月13日(金)16:30~17:30
  • 場所:総合教育研究棟A616
  • インタビュアー:鈴木 若菜(1年)・酒井 結衣(2年)・島守 快聡(4年)
  • インタビュイー:畔栁 千明先生(ロシア文学・文化)

研究内容~宗教を通して、かつてのロシアと中国の関係を読み解く

酒井:先生の研究内容について軽く説明いただきたいと思います。

畔栁:中国・北京のロシア人居留地の歴史を調べてきました。17世紀から20世紀半ばぐらいまで、たとえば長崎の出島のように、ロシア人がまとまって住んでいた特異な場所です。まずは清朝の捕虜になったロシア人が住み始めて、ロシア正教の教会を中心に居留地が形成されていったんですけど、様々な経緯を経て、今はロシア大使館が建っています。

▲中露関係史に関する資料

島守:ロシアや北京の研究をされている中で、日本との関連性はありますか?

畔栁:ロシア人は居留地で、聖書を教会スラヴ語(ロシア古語の一種、教会文献で用いられる)から中国語に翻訳する仕事もしていました。日本正教会の人達は、その北京で作られたキリスト教の教典を日本に輸入して、その翻訳を通じて、日本語のテクストを作っていった、という歴史があります。例えば、この資料は明治時代のものなんですけど、読んでいただけると分かりますが、少し不思議な感じのする日本語です。それは、元が漢文で、漢文訓読体で書かれているからということが理由の一つなんです。

酒井:当時の中国で正教会の翻訳作業が行われていたということは、当時の清朝政府としては公認していたことなんですか?

畔栁:それが、少し分からないところがありまして。高校の世界史でもでてくる、ネルチンスク条約やキャフタ条約の中には、聖書・教典の翻訳作業について規定はありません。ロシア人は自分の宗教を信じていいと書いてあるのですが、でも、伝道をしてもいいとは書いていないんです。基本的には清朝は認めていなかったと思います。ただカトリックと違って、清朝は正教会の伝道活動を積極的に弾圧したりはしていないんですね。そこが面白いところです。

鈴木:著作の『漢字文化事典』の中の一部を執筆されてたと思うんですけど、そのロシアと漢字には、イメージが結びつかなくて、話を聞いている中で、アジアとの関係の研究だと推測できます。ロシアから見た漢字研究ではどんなことがされていますか。

畔栁:17世紀から北京の居留地があったので、ロシアは中国をよく研究していて、昔から漢字を読み書きできる人がいました。そういう歴史的背景があって、漢字研究は割に盛んです。漢字を、我々は例えば部首や、象形文字のような記号として捉えると思います。一方ロシア人はもう少し図形として捉えている気がします。昔の研究書には、奇麗な漢字を書くにはどうしたらいいかというようなことが書いてあるんですよ。ロシアの漢字研究は、日本や中国での漢字の捉え方と、考え方が少し違うところが面白いと思っています。

鈴木:なるほど、日本みたいに漢字の意味を考えるていうよりかは、記号ていうか図形として見るというのがメジャーですか?

畔栁:「メジャー」と言えるほどの漢字人口はいないですけど…。しかし主流だったと思います。

経歴~ロシアの研究のために修士課程へ

酒井:続いて先生の来歴についてご紹介いただければと思います。

畔栁:私は埼玉県出身で、高校からずっと東京にいました。留学の話とかもしていいんですかね。

酒井:はい、なんでも!お願いします!

畔栁:その間に1年半くらいロシアに留学していました。

島守:ちなみに院生のころの研究について、学部のころからロシアに関して研究されてたんですか?

畔柳:大学に入ってロシア語を始めて、ロシア語を勉強できる学科に進みました。新潟大学で言うとロシア言語文化プログラムみたいなところですね。文学も好きでした。学部時代は、ロシア文学を勉強して、ロシア文学でずっとやっていこうかなと思った時もあったんですけど、一方で東アジアに強い興味があって、そこからも離れられず、いろいろ模索しました。

島守:院生の時の研究あるいは生活っていうのは、学部のころと比べてどう感じましたか?

畔栁:留学もしたので修士は3年通ったんですが、今のテーマにはまだ出会っていなくて、結構大変でしたね。自分は何をやりたいんだろうと悶々として、しかし手はあまり動いてないというか、何をしていいか分からない、そういう時期でした。

酒井:学部生のある程度の段階では、自分は修士に進むっていうのは決めていたんですか?

畔栁:そうですね。私の場合は学部1年生のころから研究者になることに関心があったので、修士に行くことはわりに早い時期から決めていましたね。

新潟大学での授業〜ロシア語になじみがない人にこそ来てほしい!

酒井:次に、新潟大学で開講されている先生の授業について、いくつか、紹介していただければと思います。

畔栁:まずは「ロシア語インテンシブ」ですね。初修外国語で少人数なのはとてもいいですね。密にコミュニケーションを取りながら授業できます。たまにロシアの映画を一緒に観たり、私は結構楽しくやっています。「ロシア言語文化演習」はアレクシエーヴィチ (Светлана Алексиевич) の『セカンドハンドの時代』を読んでいます。ノーベル文学賞をとったベラルーシの作家なんですけどが、ソ連崩壊直後のロシアの人たち、ベラルーシの人たちの生き方がどういう風に変わったか、インタビューしたものです。講読で、参加してる方々にどう読むか意見を出してもらって、私自身勉強になることが結構あります。

▲Время секонд хэнд (2013)(アレクシエーヴィチ『セカンドハンドの時代』(岩波書店・2016)

鈴木:初修外国語を入学前に選ぶ際に、それぞれの言語について軽く紹介されている文書ではロシア語は他の言語に比べて、すごく難しいっていう内容が強調されていて、でもすごく面白いっていう言語だっていうことも併せて紹介されていたんです。先生は大学に入るときに、ロシア語を履修なさっていたという話だったと思うんですけど、ロシア語に対してどういう風に思っていましたか。

畔栁:ロシア語を始めたときは、みんながやっていない言語をやっていることに対する喜びのほうが、難しさにまさっていました。文字が英語と違うのは難しさの原因の一つですが、私はそれがちょっと暗号解読みたいな気がして、苦であるというよりは、新しい世界だなというので結構うれしい感じがしていました。ただ、外国語である以上はやっぱり難しいです。ロシアの場合は、留学や旅行に気軽にいけないんですよね。それは今に始まった話じゃなくて、練習する場がどうしても少なかったです。そうであるがために、なかなか出来るようにならないもどかしさは未だにありますね。なので、ロシア語が特にすごく難しいっていうよりは、ロシア語に課せられている、政治的・社会的な関係によって、難しさがあるっていうんですかね。

鈴木:なるほど、ありがとうございます。

島守:ちなみに授業の話で、後期に人文学部の発展講義で2つ開講予定されていて、別の学生が「ロシア文芸論」と「ロシア言語文化論A」に興味あると言っています。

畔栁:そうなんですね。

島守:ぜひ、お話聞かせてほしいんですけど。それは、どちらかというと文学、あるいは、言語学よりも、文化論とか日露関係史が中心になってくるんですか。

畔栁:文学・文化が中心です。「文芸論」は、一応「文芸論」なので、文学がテーマではあるんですけど、私自身が文学一辺倒というよりは、歴史とか文化史の分野で研究してきた都合上、ちょっと変わった感じになるかもしれません。

島守:ロシア語に手を付けたことがない人でも、馴染みそうな内容ですか。

畔栁:私が研究をやっていくなかで出てきた考えなのですが、ロシアについて、あるテーマについて研究する際に、ロシア語で研究することは当然できます。でも、ロシアって、ヨーロッパとか中国とか、いろんな地域と関係を持ってきたんですよね。ロシアについては、例えばドイツ語はドイツ語で資料があるし、フランス語はフランス語で資料があるし、もちろん英語もあります。文化的な繋がりを重視すると、一つの言語だけでは見えないものが見えてきます。ロシア語をやっている方にそういう楽しさを共有できたらいいなと思って授業を作っていますが、ロシア語をやったことのない方がコミュニケーションを取りに来てくださったら、それはとてもうれしいなと思っています。

島守:じゃあ、まったく、バックグラウンドにロシアとか、ロシアの学習歴がない人でも、気軽に、足を踏み入れることはできそうな授業になりそうですか。

畔栁:そう考えています。

酒井:私からも2学期に行われる授業で、「ロシア言語文化基礎演習B」についてなんですけど、シラバスを見ると、料理っていうことをテーマに開講されていて、なぜ料理っていうのが単純に疑問に思いました。先生が先ほど留学されていたっていうのもあって、そういう料理に関して授業をされる理由はありますか。

畔栁:まさにいま触れていただいた通り、この授業には留学時代の思い出が影響しています。ロシア人といっても色々な人がいますから、私がコミュニケーションをとれた数少ない人たちに過ぎないわけですけど、しかし、食に対する考えが日本人と根本的に違うように感じました。私自身食べるのが結構好きというのもあるのか、それが「ん?」って思うことが結構多かったんですね。食に対して禁欲的に見えました。例えば日本でテレビを観ていると、ずっと料理番組、グルメ番組をやっていますが、それをロシア人の友人と話すと、すごく変だっていうんですよ。なんで、そんなに食べることばかり考えているんだって。一方で、言語はコミュニケーションを取るのに重要なツールですけど、たとえ言語ができない留学生でも、食べ物は食べないと生きていけません。そのとき以来、ロシアでの食の体験について比較的ずっと考えてきたので、これで授業ができるんじゃないかなと思ったのがきっかけです。

酒井:私自身、中国について勉強している中でも料理っていうのはすごく興味のあるトピックで、ロシアの料理についても軽く調べたんですけれど、水餃子などにアジアっぽさを感じる反面、煮込み料理、シチュー系だったりとか西洋の香りを感じさせる料理もあって、やはり、土地がアジアとヨーロッパにまたがっているので、その文化について非常に興味深いなと思いました。

畔栁:おっしゃる通り、ロシア料理は、ヨーロッパとアジアの両方の要素がミックスされていて、だれでもおいしく食べられるんですね。それもソ連の影響が大きいと思っています。いろんなところから来た労働者が、例えばモスクワの同じ食堂でごはんを食べるわけですね。ある人はコーカサスのアゼルバイジャンから来ているかもしれないし、極東の朝鮮系の人もいるかもしれないし、ウクライナやベラルーシからの人もいるわけで、そういう人たちが一緒においしくご飯を食べるには、ということで考え出されたのが今のロシア料理だと思うんですよね。ヨーロッパとアジアがミックスされているっていう要素だけでも面白いですし、多民族である、その空間を保つための料理であるという側面もあると思っています。

学生時代について~模索を繰り返した院生時代

酒井:学生時代については先ほど伺ったんですけれども、学部生・院生時代は問わないんですけれど、印象に残っていることはありますか?

畔栁:学部2年生までサークルでビッグバンドジャズをやっていました。ロシアは何も関係ないんですが(笑)、テナーサックスを吹いていて。ビッグバンドジャズでは10人以上でリズムを合わせて演奏しますが、指揮者はいません。クラシックのオーケストラと比べると不思議に見えると思うんですが…。特に文系の研究者は一人で仕事をすることが多くて、大人数で一つのことをすることはなかなかありません。もちろん仕事によっては大人数でやる仕事もあると思うんですけど、私の場合は、学生時代ならではの、なかなかいい体験でした。

鈴木:学生時代は一人暮らしでしたか?

畔栁:私はずっと実家から通っていました。

鈴木:そうなんですね。私は今一人暮らしなんですけど、大学生活の時に困ったことなど、大学生の先輩として!少し伺いたいと思いました。

畔栁:今は大学のそばにお住まいですか?

鈴木:そうです。

畔栁:私は実家が大学から遠かったので、通学に時間がかかっていて、それは大変でしたね。あと、私はわりに規模の小さい高校の出身で、1学年が120人だったんですけれど、それが大学に入って一気に1学年3000人、30倍になって。人間関係の作り方が大学に入ったら全然違って、正直なところ孤独だなと思うこともあって。みなさんそんなことないですか?

鈴木:人間関係の輪がこれまでより狭いと思ってしまうことがあります。特定の人としか関わってないということがあって、そういう意味ではさみしいのかもしれないですね。

畔栁:それがいつ解消されたのか、もしかしたら徐々に慣れたという感じで、解消はされなかったのかもしれないです。さみしさに慣れるまでに少し時間がかかったかなという感じですね。

鈴木:ではそのなかでサークル活動というのは有意義だったんでしょうか。

畔栁:だからこそでしょうね。

鈴木:なるほど。留学先ではどんな活動・研究をされましたか?

畔栁:最初は1年、ロシア語を勉強しに行きました。語学留学です。次の半年はコロナの流行の直前だったんですが、その時は東洋学部という学部に留学して、ロシア人学生にまじって授業を受けたりもしつつ、自分の研究についての調査をしていました。

島守:留学や研究に関するきっかけはロシア語からですか?それともロシアの歴史への興味が研究の動機になったのですか?

畔栁:私はどちらかというとロシア語から入りました。元々ロシアやその歴史にそこまで強く興味があったわけではありません。たまたま大学に入って、初修外国語でロシア語を選びました。東アジアの歴史に興味があって、中国語や朝鮮語もいいなと思ったんです。でも、人がやっていない東アジアの言語をやるのもおもしろいなと思いました。ロシアへの興味が本格的に出てきたのは留学してからです。ロシアにはソ連からの影響がいろいろ残っていて、実際見ると、全然日本と違う、おもしろい社会だなって思ったんですよね。でもその時点で修士課程でしたから、ロシアに興味を持ったのは、随分遅いと思います。

学生へのメッセージ~実際の現場を体験しよう

酒井:続いてなんですけど、学生へのメッセージを一言いただければと思います。

畔栁:ロシアの研究をしているので、ひとつは、大学を出て現場を見に行ってほしいというのはやはりありますね。しかし、それが難しいということがどうしてもあると思います。ロシアもそうですし、いま、海外に行くハードルは高いですから。行ける場合には行った方がいいんですけど、行けないなと思う時は、旅行記を読んで欲しいです。何冊か読み比べてみるといいと思います。旅行記は、初めて見た世界を認識する方法について、先人の知恵が詰まっています。当然、人によって全然見方が違います。本当に読みやすいもので構わないので、何冊か読み比べてみるといいと思います。

島守:旅行記は面白い視点ですね。

畔栁:たとえば『犬が星見た』という、武田百合子という作家が書いたソ連旅行記があります。武田百合子は観光客として行っていますので、専門的な内容は何ら書いていません。しかし、面白いです。ソ連社会がどうだったかという点から言っても面白いし、どういう風に旅をするかが結構細かく書かれていて、文学としていいと思います。

島守:なるほど、「ロシアを知るのにロシア文学を読む」のは少しハードルが高い感じがするので、手始めというか、入りやすさからは、旅行記を読むというはわかりやすいのかなと思います。

畔栁:そうですか、それは良かったです。そこからいろいろ広がっていくといいかなと思います。

鈴木:ロシア言語文化を学んでいる人は、大学内で見ても少ないと思うんですけど、どんな人が学ぶのに合っているとか、あれば教えていただきたいと思います。

畔栁:ロシアはヨーロッパとアジア両方の要素があって、どちらなのかが分かりづらいですし、どちらなのかということでいつも悩んでいる国だと思います。いろいろな物事に興味がある人は、多角的に見られるので、何とも言い難いロシアを捉えるのに向いていると思います。また新潟大学からは、リトアニアとポーランドに留学できます。ロシアだけじゃなくて、その周りの世界にも興味を広げていってほしいと思います。自分はこれというテーマがまだ見つかっていない人、一つに絞らずにいろいろなことを見たい人、そういう人にロシア言語文化はいいのかなと思いますね。

鈴木:なるほど、むずかしいですね。もともと本を読むのがすごい好きなので、外国の本も洋書を何冊か読んだことがあります。ロシア文学に今まで触れたことがなかったんですけど、話を聞く限り、面白そうだなと思いました。ロシア文学について特徴とかありますか。

畔栁:一般的に言われる特徴は、「重い・暗い・長い」です。しかし、重くない・暗くない・長くないものもあります。たとえばゴンチャロフの『オブローモフ』という小説があります。第1章でオブローモフが目を覚ますところから始まるんですけど、第1章の最後までオブローモフはベッドから起き上がってきません。ぐうたらなんですが、愛すべき人なんです。暗くない小説です。親近感を感じさせるキャラクターが色々いるので、登場人物に着目すると、面白く読めるかもしれないです。「これはこういうキャラなのか」みたいに集めていくって言うんですかね。

鈴木:なるほど、ちょっと読んでみます。「重い暗い長い」ちょっとハードルは高い…

畔栁:「軽い・明るい・短い」も、なくはないですから。

酒井:リトアニアやポーランドのあたりの言語とロシア語ってやはり似通っていて、ロシア語勉強して現地に行くと、コミュニケーションできる感じでしょうか?

畔栁:ポーランド語は、ロシア語と同じスラブ語(印欧語スラブ語派)ですが、ロシア語は東スラブ語、ポーランド語は西スラブ語です。なので結構距離がありますので、ロシア語を勉強したから、ただちにポーランド語も分かるかというと、全然そうではないです。ただ、もちろん、ある程度文法的に共通する要素はあるので、ロシア語を勉強した人は、ポーランド語も取っつきやすいと思います。リトアニア語は、ロシア語・ポーランド語とは全然違う系統なんです(印欧語バルト語派)。しかしリトアニアはかつてソ連の一部だった歴史があり、ソ連の共通語だったロシア語が、ある程度通じます。なので、ロシア語を使える機会は、おそらくリトアニアの方が多いと思います。

酒井:複雑ですね。

畔栁:ロシア言語文化を学ぶとき、その複雑なところを受け止めるというんですかね。その複雑なところをちょっとずつ解きほぐす。ロシアに限らなくても、大学で勉強する時に、複雑さにちょっと我慢するというのは、どうしても必要な段階かも知れませんね。

酒井:本日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

●畔栁 千明(くろやなぎ ちあき)先生
・専門:ロシア文学・文化、中露関係史
・所属:人文学部 言語文化学プログラム

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