「悪役」と共に〜山田斗志希先生にインタビュー!

人文学科の関、引木、英語学の島守です。「新任教員インタビュー」として、情報学(メディア表現)を専門にする山田斗志希先生にお話を伺いました。

学生の頃から持っていた疑問を研究にして、現代社会において私たちと切り離せない情報・メディア表現を語ってくださいました。学生時代の経験や授業で心がけていることなど、今の大学生に参考になるお話を聞けたので、私たちも大学生活を有意義にしていこうと思いました。

  • 日時:2025年6月10日(火)16:30~17:30
  • 場所:総合教育研究棟F687
  • インタビュアー:関 美心(1年)・引木 花(1年)・島守 快聡(4年)
  • インタビュイー:山田 斗志希先生(情報学)

研究内容〜ずっと疑問だったことが研究に

▲山田 斗志希 先生

:まず先生の研究内容について教えてください。

山田:私は「人文社会情報学」という分野に関わっています。これは、情報技術を駆使して人文社会科学系の問いにアプローチするという新しい学問領域です。情報学自体、ここ数十年ほどの歴史の浅い分野なので、人文社会情報学もまだ発展途上にあるといえるでしょう。

私の研究テーマの一つに「ヴィラン研究(悪役研究)」があります。たとえば過去には、悪役のセリフを大量に集め、コンピュータを用いてそれらを分析しました。具体的には、言葉を一つひとつカウントしたり、ある言葉が出てきたときに一緒に出てくる別の語(これを「共起語」と呼びます)を抽出したりして、言葉同士の関係性を可視化するなどの手法を用いています。

もう一つの研究テーマは「情報教育」です。たとえば2年生向けのメディア論の授業では、SNSの仕組みや、そこで起こっている問題について扱っています。

生成AIによって「見分けのつかないフェイク」が量産され、それを悪用する人たちが現れている現状についても、学生に問いかけながら一緒に考えるような授業をしています。そのほかにも、まだ詳細はお話できませんが、最近、共同研究を引き受けたところです。また、今後は悪役研究を社会的な文脈と接続するかたちでさらに展開していきたいと考えています。

島守:悪役のセリフを集めて分析されるときいて、言語データを集めて分析する言語学に近いと思いました。集める悪役のセリフというのは映画やドラマ、あるいは時代を自分で設定しているんですか?

山田:以前取り組んだのは、映画・アニメ・ゲーム・小説・漫画から、それぞれ50作品ずつ、合計で250体分の悪役キャラクターのセリフを収集・分析するという研究です。収集したセリフの資料は、A3サイズ120ページほどになりました。

分析してみると、たとえば「殺す」「支配する」「殴る」といった、加害的な言葉を頻繁に使う悪役のほか、そうした言葉はあまり使わないものの、行動が陰湿であるタイプの悪役など、複数のタイプに分類できることがわかりました。つまり、セリフの特徴から、キャラクターの背景の違いをある程度読み取ることができるのです。

こうした分析には「テキストマイニング」という手法を用いています。ただしこの手法は、あくまでテキストデータのみを対象とするため、キャラクターの見た目、声優の演技、演出といった言語以外の要素は分析対象外です。そうした非言語情報も組み込めれば、さらに興味深い成果が得られるのではないかと考えています。

島守:情報教育にも携わっているということですが、学校教育におけるICTの導入や、生徒のタブレット使用について、また、社会で生きていく上での情報教育の役割について、どのようにお考えですか?

山田:最近よく話題になるのが、「デジタルから紙へ戻すべきか」という議論です。これは日本に限らず、北欧をはじめとする他国でも見られる動きです。

1年生と話していると、「1人1台」の学習端末を使ってきた世代ならではの、実感を伴った本音を聞くことができます。なかでもよく挙がるのが、「デジタルだろうが紙だろうが、勉強する人はするし、しない人はしない」という意見です。

また、デジタルによる学習環境の整備にはコストがかかるため、家庭や個人の経済状況によって学習環境に差が生じるという課題も見えてきます。学生と話していると、そうした“温度差”がわかってきます。私個人としては、教科書などの教材はiPadのようなタブレットにまとめて入れておけるほうが、持ち運びの点で明らかに便利だと感じています。

ただ、実際に問題を解く場面では、画面上でペンを滑らせるよりも、紙に手で書いたほうが快適だと感じる人もいることでしょう。ですので、「紙かデジタルか」という二者択一ではなく、それぞれが自分にとって使いやすい方法を柔軟に選べるのが理想だと考えています。

とはいえ、学校教育の現場でそれを実現しようとすれば、教員側の負担が非常に大きくなるという現実があります。とくに一斉授業では、「全員が使う」「全員が使わない」といった二択になりがちです。

「各自が使いやすいかたちで学べるようにするにはどうすればいいか」というのは、まさに教育の本質に関わる問いです。私がいま話していることは、結局のところ「使える人が使えばいい」という、ある意味突き放した考え方かもしれませんが、だからこそ今は、いろんな立場の人の声を聞きながら、そのあり方を模索していく時期なのだと思います。

なお、「やっぱり紙の方がいいよね」という声は、若い世代からも聞かれます。今後、教育現場がどのように変化していくのか、その動向には引き続き注目していきたいと考えています。

島守:情報教育と聞いて、プログラミングのイメージが1番に思い浮かぶ人も少なくないと思うので、「そんなにプログラミング必要か?」と思ったりします。

山田:実際、そのあたりは1年生と話しているとよく出てきます。高校生のときはなかなか言えなかったけれど、内心では疑問に思っていたという声は少なくありません。

先生方もかなり苦労されている様子がうかがえますし、学校によっては、本格的なプログラミングに取り組んでいたケースもあったようです。かなり時間もかかりますし、そのぶん他の学習内容に充てる時間は減ってしまいます。

プログラミング教育の必要性については、学生や教育現場の声を聞いていると、さまざまな考え方があることがよくわかります。私自身も、その位置づけや目的については、もう少し丁寧に整理する余地があるのではないかと感じています。せっかく大学教員という立場にいる今、今後も現場の声を踏まえながら、慎重に考えていきたいテーマのひとつです。

島守:情報教育という大きな変化が絶えずあって、今注目されている分野なんだなと思いました。

山田:そうですね、注目はされています。そのため、いままさに「大事そう」「役に立ちそう」といった期待のもとに、さまざまな取り組みが試行錯誤されている段階にあると思います。

:先生のもともとのご専門が教育とおっしゃっていたのですが、高校で今「情報Ⅰ」「情報Ⅱ」がありますが、(情報科の)教員育成みたいなのは考えていたりするんですか?

山田:人文学部で、ということ?

:人文学部や、その他、新潟大学内です。

山田:その点については、もちろんそうした取り組みがあれば、ぜひ前向きに関わっていきたいと考えています。ちょうど今、「情報Ⅰ」を履修してきた第一世代の学生が今年度、大学に入学してきたタイミングでもあり、その実態を把握するための調査研究を準備しているところです。

私の今の立場だからこそ、制度として求められている情報教育と、現場との間にあるギャップをどう埋めていくかという課題に、実践と研究の両面から取り組んでいければと考えています。

引木:先生のご研究の中に、「孤独について」1というのがあったんですけど、どのような研究なのかお聞きしたいです。

山田:あれは、私が大学院生の頃に書いた、いちばん最初の論文です。もともとの動機は、学校教育において「友達を作りなさい」とか、「ひとりでいる人がいたら声をかけよう」といった“仲良くさせる指導”が当たり前のように行われていることに、子どもの頃から違和感を覚えていたことにあります。そうした指導が、「友達がいないのはダメなことだ」という風潮を生み出しているのではないかと、ずっと疑問に思っていました。

そのモヤモヤを抱えたまま進学しました。教員養成系の学部だったため、授業では当然のように「学校教育のあるべき姿」についてディスカッションが行われるのですが、私とはそもそも前提が合わなかったんです。

そんなとき、論文を書く機会があり、このテーマを扱うことにしました。論文では、物語やテレビ番組で語られる発言などを調査し、「仲間」や「絆」などの関係性を強調する言説と、それに対して懐疑的な立場の言説とを対比させながら考察を進めていきました。最終的には、私の考察を述べるという内容になっています。

引木:本当に小さい頃から感じていた小さなことが研究につながったということですか?

山田:そうですね。私はそもそも、「誰かに何かを教える」「教育する」という営みそのものに、子どもの頃からどこか疑問を感じていました。

もしかすると、いま取り組んでいる研究も、どこかで「現状こうなっているけれど、それは誰のためのものなのか?」という視点を持ちやすい、自分の性質に根ざしているのかもしれません。いわゆる“王道”とは少し離れたところに関心が向きやすいタイプなのかなと、自分では思っています。

  1. 山田斗志希・上山輝「メディア表現における『孤独』と『孤独感』に関する考察」(2017) ↩︎

来歴〜なんとか辿り着いた場所

:先生のご来歴を教えてください。

山田:大学院を修了した後、ある大学で職員として働き始めました。最初は学内の情報基盤を担う部署に所属し、主に大学公式ウェブサイトの管理・運用を担当していました。その後、広報部門に異動し、大学広報にも携わることになりました。

次に勤務したのは、専門学校のデザイン学科です。もともとコンピュータを使ったものづくりに関わっていたこともあり、ご縁があって教員として働くことになりました。しかし、その学校が閉校することになり、「自分にできることは何か」とあらためて自問することになりました。

そのときに出会ったのが、発達障害のある子どもたちを支援する施設を運営しているベンチャー企業でした。そこで私は「児童指導員」として採用され、中高生向けの拠点で勤務したのち、小学生対象の拠点に異動し、子どもたちと日々にぎやかに過ごしていました。

そんななか、新潟大学の教員公募を知りました。これまでの教育・研究とも親和性を感じて応募したころ、ご縁があり、現在に至ります。

アカデミックの世界を一直線に歩んできたというよりは、さまざまな経験を重ねた末に、なんとか辿り着いたというのが正直なところです。ただ、いつかは大学教員・研究者になりたいという思いは、ずっと持ち続けていました。だからこそ、働きながらも研究を続けてきました。

:発達障害の子ども達と関わる中で情報教育をどのように活用したんですか?

山田:私に与えられていたミッションのひとつが、「ICTを活用した集団ワーク」でした。たとえば、プログラミング体験や、Minecraftを使ったイベントなど、ICTを活用したさまざまな活動を企画・実施していました。そうしたイベントを通じて、子どもたちが遊んだり、他の人と関わったりするきっかけをつくることを意識していました。

授業内容〜みんなの生活に沿うものを

:先生はどのような授業を行っていますか? 授業をする上で心がけていることなどを教えてください。

山田:そうですね。ちょっと恥ずかしいですね。

島守:ちなみに今ご担当されている授業は「人文初年次演習」のみですか?

山田:現在は、継続中の「人文初年次演習」と、1ターム制の専門科目「メディア論実習A」を担当しています(後者はすでに開講期間が終了しました)。

「人文初年次演習」では、学生が抱きがちな“大学”や“大学教員”、“レポート”といったものへの漠然としたイメージを、少しでも具体的に掴めるようにすることを目指しています。やり始める前から身構えてしまう学生も少なくないので、「大丈夫、たいしたことじゃないよ」「まずはやってみよう」という感覚を大切にしています。

もちろん、教員として伝えるべきことはありますが、あえて“きれいごと”を外して話す場面も意識的に取り入れています。たとえば、「教科書的にはこう言われているけれど、実際には…」といった具合に、現実的な視点も交えて話すようにしています。

「メディア論実習A」では、情報リテラシーについて扱うなかで、「インターネットを使いすぎないようにしましょう」といった一般論に触れつつ、現実としてはすでに多くの人たちが日常的にネットにアクセスしていることを前提に話を進めました。理想論にとどまらず、学生一人ひとりの生活実感に近づけることを意識しています。

▲「メディア論実習A」では、学生がARグラスを体験する機会を設けたようです。

授業の構成も工夫しています。大学の授業では「理論から入る」というスタイルが一般的かもしれませんが、私はむしろ具体的なところから始めることが多いです。

まずは身近な話題から入り、そこから少しずつ抽象的・理論的な観点へと展開し、最後に「実はこうい
うテーマを扱っていたんです」と振り返る構成です。毎回テンポを変えたり、前回と違う進め方をあえて選んだりすることで、臨場感のある場づくりを意識しています。

学生時代〜何ひとつ悔いはない

:先生の学生時代について、可能な範囲で教えてください。

山田:私は、「学費や生活費は自分でまかなうこと」を条件に大学進学したので、入学してすぐアルバイトを探しました。ただ、働き始めてもすぐに収入があるわけではないので、新歓(新入生歓迎会)をあちこち回って、食いつないでいた記憶があります。

在学中は、学費のためにアルバイトのシフトを多く入れていました。授業の課題には、夜の12時や2時に帰宅してから取りかかるという生活を、4年間続けていました。いま振り返ると、精神的にもかなり疲れていた時期があったと思います。

単位を取り終えたあとは、よく研究室に通っていました。生活の中心はバイトと学業の二本柱でしたが、遊びの時間もありました。たとえば、友人と車で富山から栃木まで、下道で11時間かけて移動したこともありますし、京都や山梨の富士急ハイランドにも出かけました。

やりたいことはやれたと思っています。大変なことも多かったですが、振り返ってみて、何ひとつ悔いはありません。ちなみに、卒業論文からすでに「悪役」をテーマに研究を始めていました。

島守:卒業論文で取り上げたことが、その後の研究につながっていったということですか?

山田:そうですね。いま私がここにいられるのも、悪役をテーマにいくつか論文を書いてきたことが関係しているのかもしれません。もし悪役研究に取り組んでいなかったら、そもそも研究の世界にはいなかったかもしれません。

島守:悪役研究について、授業がきっかけでやろうと思ったのですか?あるいは教員になってから興味が出たのか、それとももともと興味があったのですか?

山田:大学時代、ゼミに入った直後に、先生から「テーマを3つ考えて、それぞれA4用紙1枚にまとめて提出してください」と言われたのが始まりでした。

私が出したのは、1つがSNSにおける承認欲求に関するテーマで、もう1つが…ちょっと忘れてしまったんですが、どちらも先生からは「よくあるテーマだね」と言われたんです。でも、3つ目に出した「悪役」に関しては、「これは誰もやっていないから、これにしなよ」と言っていただいて。それがきっかけです。

その先生がいたからこそ、そしてその先生がそのテーマを認めてくださったからこそ、いまの自分があるのだと思っています。本当に、いろんな偶然やご縁が重なって、いまここにいるんだなと、日々感じています。もしどれかひとつでも欠けていたら、きっとまったく違う人生を歩んでいたと思います。悪役にも感謝しています(笑)。

島守:とても小さいことでも、大きなことにつながるきっかけだったんですね。

山田:そうですね。最初は本当に小さなきっかけでしたが、そこにテキストマイニングなどの情報技術を組み合わせたことで、結果的に「同じことをやっている人がほとんどいない」研究につながったのだと思っています。自分の持っているスキルを組み合わせて、他の人がやっていないことをやってみたいという気持ちは、子どもの頃からずっとありました。

私に特別なスキルがあるわけではないのですが、興味の幅は広いほうかもしれません。家の本棚には、経済学、民俗学、法学、数学……ジャンルを問わず本が並んでいて、ちょっとした図書館のようになっています。そうした興味関心の広がりが、自分のこれまでの経験や知識とうまく結びついて、今の研究につながってきたのだと感じています。

:個人的に「情報学」と聞くと、理系分野のイメージがあるのですが、人文学部にいらっしゃるのは、テキストマイニングが関係しているからということですか?

山田:私自身は理系ではなく、出身は教育学、いわゆる文系の人間です。ただ、もともと所属していたのが「メディア領域」の研究室でして、そこではプログラミングでゲームをつくったり、デザインを手がけたりと、コンピュータに強いところでした。そうなると自然と、「コンピュータを使って何かをする」というのが、日常の感覚になっていったんですね。

ですので、「どの技術を使えば、自分の関心に沿った研究ができるのか」と考えていく中で、たまたまテキストマイニングという手法に辿り着いた、という流れです。そういう意味では、あまり“文系・理系”という枠を意識したことはありません。

もちろん、理系的な素養が求められる場面も出てきます。そういうときは、その都度必要な範囲で勉強するようにしています。中学校の数学に立ち返ることもありますし、統計の基礎をあらためて学び直したこともあります。

結局のところ、「自分がやりたいこと」があって、その実現に足りないものがあれば、文系・理系を問わず学ぶ。そういう姿勢で取り組んでいるという感覚です。そして、やりたいことのためであれば、意外と人は頑張れるものなんですよね。

島守:学部時代って半分メンタルやられた生活と話されてましたが、学部生と院生の違いってありましたか?

山田:全然違いますね。おそらく、多くの人にとって、大学っぽさを本当に感じられるのは、大学院からなんじゃないかと思います。よく言われることですが、大学院に進むと、教員との距離がぐっと近くなります。学部生のように「学生」として扱われるというよりは、「研究者のたまご」として見られるようになるので、指導もよりストレートになります。

大学院の生活って、実は授業がほとんどないんですよね。それ以外の時間は、修士論文や博士論文の執筆にあてることになります。私はその生活がとても楽しかったです。

そのとき所属していた研究室の仲間とは、今でもLINEでやり取りするくらい、濃い時間を過ごしました。本当に「やりたいことを、やりたいようにやらせてくれる」研究室だったんです。

ただ、先生は優しいんだけど、ちゃんと怖いんですよ(笑)。うまく伝わるかわかりませんが、今振り返ると、「ちゃんと手綱を握ってもらっていたな」と感じますね。自由にさせてくれているようでいて、軌道を外さないように導いてくれる、そんな絶妙な距離感でした。だから、大学院は本当に楽しかったと思います。

島守:色々大変さもある中で研究、それこそ自分のやりたいことができたことで、今のご研究にもつながってくるのかな、と思いました。

山田:大学院、よかったですよ。

大学院では、教科書に載っていないことを、自分で調べて、考えて、形にしていきます。それって、ものすごく面倒くさいことが8割くらいあります。でも、残りの2割でも、「やってよかったな」と思える瞬間があれば、その8割が報われるんです。

論文を書くのもそうです。毎回「なんでこんな大変なことをしてるんだろう」と思いながら書いています(笑)。でも、努力が認められて論文が通ると、「じゃあ次は何を研究しようか」と前向きな気持ちになる。

もちろん、大学院を出たあとの進路は、広いとはいえないかもしれません。私の周囲では、院在学中に業界でアルバイトをしていた人がそのまま就職したり、大学職員や公務員の道に進んだりするが多かった印象です。

でも、大学院に進むと、「大学」という場所の見え方ががらっと変わると思います。修士論文や博士論文では、1人で1本、それなりの分量のものを書かないといけない。学部の頃は手厚いサポートがあることも多いですが、院生になると、自分で自分をサポートする姿勢が基本になります。だから、大変かどうかと聞かれれば、「大変です」と答えます。

でも、大変さも含めて楽しめるなら、大学院はむしろパラダイスのような場所だと思います。もし、ある程度の経済的余裕があって、じっくり考えるのが好きな人であれば、一度検討してみてほしいと思います。

学生へのメッセージ〜今やっていることを一生懸命する

:学生へのメッセージをお願いします。

山田:今やっていることに、一生懸命取り組んでみたらどうでしょうか。大学生活の中で、ふと「自分はなぜ大学に通っているんだろう」と思う瞬間が、きっとどこかで訪れるはずです。そう思わなかったらそれはそれでいいんですが、たとえば大学3年生くらいになって就職活動や卒業研究が始まり、履修するコマ数が減って一人の時間が増えてくると、ふと我に返るような場面が出てくることもあります。そんなとき、いろいろと考え込んでしまうこともあるでしょう。

気持ちが落ち込んでしまう人もいれば、なんとか乗り越えていく人もいます。だけど、どんな状況にあっても、「いま目の前にあることに一生懸命になってみる」という姿勢は、きっとどこかで何かにつながっていくと思います。

人生の意味とか、自分の将来とか、いくら考えてもすぐには答えが出ないこともたくさんあります。だからこそ、まずは足元にあることにしっかり取り組んでみる。そんなふうに考えてみてもいいのではないでしょうか。

:最後に情報学を学ぶにはどんな学生に向いているかを教えてください。

山田:とにかく「目まぐるしく変わるものに敏感でいること」だと思います。1週間前に手に入れた情報が、1週間後には古くなっている。そんなことが、日常的に起こります。だから、そうした変化を追いかけること自体を「面倒だ」と感じない人のほうが、楽しめるんじゃないかと思います。

一般的な学問では、まず古典から学ぶことが多いですよね。でも情報系って、古典って言ってもせいぜい数十年前とかのものになりますし、むしろ勉強しているそばから新しいものがどんどん出てくる。だから、最新の動向に目を配る必要があります。

しかも、最新情報というのは本には載っていません。ネット上に散らばっていて、まとまった頃には、一歩遅れていることも少なくありません。もちろん、本を通じて体系的に学ぶことも大切ですが、それと並行して、「何が変わったか」「どんな新しいものが出てきたか」といった変化を、チェックし続ける必要があると思います。

新しいソフトやサービスが出てきたとき、「なんか面白そう」と思って試してみる。そんなふうにフットワーク軽く行動できる人は、自然と詳しくなっていくと思います。

:これでインタビューを終わります。本日はありがとうございました。

●山田 斗志希(やまだ としき)先生
・専門:情報学(メディア表現)
・所属:人文学部共通

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