言語文化2年の折田、社会文化3年の伊丹、言語文化2年の八杉、1年の遠藤です。「新任教員インタビュー」として、文化人類学を専門にする園田浩司先生にお話を伺いました。
私(伊丹)自身、自分のやりたいことや何がしたいのか悩んだり、考えたりする機会がかなり多かったのですが、インタビューの中で先生自身もやりたいことを見つけるために沢山悩まれたり迷われていたりされていたことを知り、個人的にとても勇気づけられるインタビューでした。
答えの出ない時期は苦しいこともありますが、それでも自分自身を常に問い直す姿勢が重要なのだと感じました。それでも行き詰ってしまう場合は、先生がおっしゃっていたように、別の考え方があるかもしれないと捉えなおすなどして、選択肢を増やす努力をしつつ、乗り越えていきたいと思います。この度は大変有難うございました。(伊丹)
- 日時:2022 年 7 月 15 日(金)
- 場所:総合教育研究棟 F588
- インタビュアー:折田あずり(言語文化 2 年)、伊丹音々(社会文化 3 年)、八杉楓南(言語文化 2 年)、遠藤礼香(1 年)
- インタビュイー:園田浩司先生(社会・文化学プログラム講師)
研究内容について
学生:ではまず初めに,先生の研究内容についてお願いします。
先生:文化人類学という分野を研究しています。2009 年にアフリカのカメルーンに行ったのが今の研究の始まりです。カメルーンの東南部に熱帯雨林が広がっているのですが、そこに暮らすバカという人々の研究をしていて、主に子どもの学びや社会化をテーマにしています。
そのテーマを選んだ理由は、実際にカメルーンに行ったときに、自分が日本で知っていた大人と子どもの関係のあり方と違うと感じたからです。例えば、バカの子どもは基本ほったらかしにされていたり、年長者の言うことも聞いているようないないような態度でいたりして、大人と子どもがどこか対等に見えたのです。
では、なぜそもそもアフリカに行くようになったのかというと、ある本で狩猟採集社会というのは皆対等で平等だ、という話を読んだためです。その話を読んだとき私は、そんな社会は本当にあるものか、日本だと社会は「階層化」されているように思えるし…と考えていました。でも、そうではない社会がこの世界にはあるとなんとなく知り、皆が対等な世界とはどんな世界なのかと思い、狩猟採集社会の研究を始めたのでした。
先生のご来歴
学生:ありがとうございます。では次に先生のご来歴について、学部時代から現在に至るまでお願いします。
先生:関西大学で社会学を学びました。真面目な学生でした。今でも覚えているのは、大学に入学したものの、大学って何をするところか分からなかったことです。高校までは提供されたことだけやればよかったけど、大学は自由で仮に授業に出なくても自分自身の問題で誰にも怒られることはありません。
ところが、あまりに何をすればいいか分からなくなったので、ある日、図書館に駆け込みました。『大学とは何をするところか』(正確なタイトルは忘れました)という本を見つけ出し、一生懸命に答えを探そうとしました。それから 4 年間、ずっと真面目に講義を聞いて学べること全部学んだという感じはあります。基本的に講義のときも、講義室の 1 番前に座っていたように思います。
ですが、私の人生の転機になったのはゼミの先生との出会いでした。その先生から、「卒論で何を書けば良いか分からないならば、お前が抱えている危機みたいなものそれ自体をテーマにすればいいんじゃないか」と助言を受けたのです。それで、ファシズムを卒業論文のテーマに選びました(人が自分自身の精神や身体を手離して、集団に預けてしまう現象がファシズムです)。
その先生は研究だけでなく、いろんな言葉を使って私の潜在能力を引き出そうとしてくれました。「そんなに勉強に打ち込めないなら今度ゼミでギターを持ってこい、一曲弾かせてやる」みたいに言っては、「学ぶこと」を「勉強」から切り離そうとしてくれていたように思います。「学ぶということは、別に本を読むだけではなく、あなたが持っている能力を、もっといろんな人と関わることを通して引き出してもらうことなのだ」と、言葉では言わずとも、そう教えてくれた気がします。
当時大学生の頃の私は、中学校か高校の先生になるつもりで勉強していたのですが、本当に教員をやりたいのかという違和感があり、悩んだ末大学院に進学しました。そして大学院に行き、今度は自分が本当にやりたいのはカウンセラーだ、と考え勉強を始めましたが、それもすぐに頓挫し、悩んだ末、私は再びその先生を訪ねました。
「自分の人生をこれからどういうふうに進んだら良いのか、周りはみんな就活をしているし、自分は何をしたらいいのか分かりません」と相談しました。するとその先生は「アフリカかニューヨークに行け」と言いました。そのときに初めて私の体にアフリカが入ってきました。そこからアフリカについて何か面白い本を読んでみようと思い、狩猟採集民の研究にたどり着くんですね。
南部アフリカの砂漠に住むブッシュマンについて書いたその本の後書きには、「夕方、夫が狩りから帰ってくると、妻は彼に何も言わずに食事を差し出した。その時夫は狩りに失敗していたが、妻は成果がどうだったかを一言も聞かなかった。彼らはやがて、静かに食事を始めた」ということが書いてあり、狩猟採集社会はなんて良い世界なのだと思いました。些細なエピソードですが、狩猟採集社会に暮らす人達の関係はどのようなものなのか、と考え始めたきっかけでした。
今度は、別の狩猟採集民の本を読み始めたのですが、それがのちに私が研究することになるバカの人々との出会いでした。その本のタイトルは、『共在感覚』です。その本には狩猟採集民は常日頃からぼーっとしていると書いてあり、私はそこに魅力を感じました。実際に行ってみると確かにそういうところはあった。
ただ、今になって考えると、彼らは単にぼーっとしているのではなく、常に身の回りの世界を見るでもなく見る、という感覚で生活しているのだと分かりました。また実際に現地に行ってみて不思議に思ったのは、初めて出会ったというのに、なぜ私がそこにやって来たのかを訊かなかったことです。農耕民の人は訊いてくるのに、狩猟採集民の人達は何も訊かずに、あたかも昔からの知り合いであるかのように一緒に居させてくれたのでした。そういう彼らの人との付き合い方に魅力を感じて、今も狩猟採集民の研究を続けています。
学生:もとから社会学に興味があって学ばれているのですか?
先生:関西大学の社会学部に行ったのは偶然ですが、学生時代から社会学は面白いなと思ってやっていました。社会学は何でも扱える柔軟さがあって、音楽や映画や自分の身近な課題などもテーマにできて面白かったです。
学生:いつから大学院進学を考えましたか。
先生:3 年、4 年生です。周りはみんな就活をする中で自分もしないといけないけど、何か勉強したいことがあるし、教員とは違う何かになりたいけれど、それが何か分からない、と思い悩んでいた時期でした。
学生:先生が自分のやりたいことで迷われたことをお伺いしましたが、私が現在 3 年生で進路のことを考える機会が多いのですが、やりたいことの見つけ方があれば教えてください。
先生:本気かどうかだと思います。それをやるためだったら周りに怒られてもやるべきだと思います。本当にそれがやりたければやるべきだし、やりたくないならやるべきではありません。もちろん大学院に進むには家族の支援も不可欠ですから全て自分の力だけで切り開けるわけではない。でも彼らを説得できるくらい、なぜやりたいかを説明できるようになることが大事なのではないでしょうか。
新潟大学で担当されている講義
学生:ありがとうございます。それでは次に、先生の担当されている授業とその内容についてお願いします。
先生:文化人類学を担当しています。文化人類学は特に日本の外などの自分の知らない土地にフィールドワークに行き現地調査をし、それが他の文化とどのように違うのかを比較する学問です。今はゼミだけを担当していて後期から授業が始まるのですが、そこで扱う内容は多岐にわたります。
700 万年もの間、人類がどのように生きてなにをして食べてきたのか、そこではどんな社会が生まれ、それが現在の私達の暮らしにどのように影響しているのか? そのほか、あなたにとって家族とは誰か?あなたを縛り付けたり型にはめたりするものが本当に教育なのか? さらには、私達が仕事(アルバイトも含め)で抱える苦しみはいったいどこから来ているのか?、などといった話を人類学でする予定です。
人類学の知を、一人ひとりが自分の暮らしにどのように活かしていくか? 世界の人々の様々な生き方に触れつつ、みなさんに考えてもらえるような講義にしたいです。
研究してきた中で印象に残っていること
学生:ありがとうございます。では次に先生が研究されてきた中で、特に印象に残っていることを教えてください。
先生:先にも少し触れましたが、狩猟採集民の人々は、初めて会ったとき、まるでそうではないかのように私を受け入れてくれました。一緒にいるときも、私を排除するのではなく、あたかも昔からいるように振る舞ってくれるのがとても不思議でした。
世界各地に今でも狩猟採集民の人々は居ます。例えばカメルーンのバカの他にも、北米のイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、もちろんアジアにも。面白かったのは、アボリジニの人々を研究する同僚も、同様の経験をしたと言っていたことでした。彼女がお世話になっているアボリジニの人達に、日本へ帰国することを伝えると、向こうは長く会えなくなることは分かっているのに挨拶などはなく、狩りに出かけてしまったそうです。なんというか、「出会っていること」と「出会っていないこと」の境界がないことが、狩猟採集民の特徴のひとつだと私は感じていて、それが印象に残っています。
学生:彼ら(狩猟採集民)は洋服を着ていないようなイメージの人々ですか?また、何語を話すのですか?
先生:洋服を着ています。現在は村に定住していますが、たしかに「服」を着ていない時代もありました(昔は木の樹皮など、森の資源を利用して服にしていたということです)。それに彼らは昔から「文明」と繋がっています。話す言語はバカ語、それにカメルーンの公用語であるフランス語です。フランスのフランス語とカメルーンのそれは異なり(イントネーションの違いとか)、カメルーンのフランス語のほうが私にとっては易しいです。カメルーンのフランス語を聞いていると、日本の関西弁を聞いている気分になり、親しみがあります。
学生:バカ語やフランス語は、どのようにして学びましたか?
先生:勉強に割いた時間は、行く前が 3 割、行ってからが 7 割でした。現地で聞き取った言葉をひたすらノートに書き取るなどして、反復練習をしていました。
学生:コロナでなかなか難しいかもしれませんが、今年や来年に現地に行く予定はありますか?
先生:今年や来年の予定はありませんが、2 年後くらいには行きたいと思っています。
社会学、文化人類学を学びたいと考えている人へのメッセージ
学生:ありがとうございました。最後に、社会学、文化人類学を学びたいと考えている人たちへのメッセージをお願いします。
先生:人類学とは、当たり前を問い直す学問です。自己を捉え直す学問と言ってもいいかもしれません。「異文化」という言葉を使うのは少しためらいがあるのですが(本当の「異文化」とは何かがよく分からないからです)、とにかく「異文化」に触れたときに自分の当たり前は崩れます。
教育とは何か? 家族とは何か? 権力とは何か? 自分とは、そして個人とは何か? など…。当たり前のことが崩れ落ちて、答えが分からなくなっている時間は苦しいものですが、それでも、そういう状況で考え続ける知性を養ってほしいです。そうではないかもしれない、別の考え方があるかもしれない、と自分なりに考えているうちに、周りに流されず自分の頭で考えるようになります。私からのメッセージは、「別の考え方があるかもしれないと考えてみよう」です。
●園田浩司(そのだ こうじ)先生
新潟大学人文学部の社会文化学プログラム講師。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科にて博士号を取得後、2022年4月に新潟大学人文学部講師として着任。