表現プロジェクト Q「佐渡のお祭りに参加しよう!」

表現プロジェクト演習TA担当の花野千尋です。9月12日から16日まで表現プロジェクトの授業として佐渡徳和の鬼太鼓に参加する事業が行われました。祭り当日は15日で、12日から3日ほどかけて練習します。これは令和5年度の記録になります。

9月8日、徳和浅生集落の鬼太鼓に参加するにあたり顔合わせ、打ち合わせと事前学習が行われました。令和元年以前の様子や映像を見ながら佐渡の鬼太鼓(オンデコ)の概要や、浅生集落の太鼓の音色を確認しました。こうやって予めある程度リズムの練習はしておきますが、実際叩くとまた感覚が違い、思った通りにいかないものです。

9月12日、朝9時25分のフェリーに乗り、お昼前には佐渡に到着。宿に荷物を置いて午後から早速稽古が始まります。

とはいえ、まずは指導役の浅生の方々と軽い顔合わせをし、オンデコの他に集落の状況などについても話をうかがいました。

今回は座椅子で基本的な腕の運びを習った後、実際に太鼓で練習しました。今年は参加者が非常に少なかったこともあり、太鼓で練習する番が超高頻度で回ることになりました。

こういう時、音楽経験などから最初からそれなりに上手く出来る場合もあれば、全く出来ない場合もあります。ゆっくり一音ずつは出来ても、速くなるとリズムが崩れたり、強弱が付けられなくなったり。浅生のオンデコは強弱が重要で、強く出す音がきちんと出せないと鬼や打ち子(太鼓に合わせて踊る子ども達)が上手く動けなくなってしまいます。

初日昼間の稽古が終わると、早くも手の皮に豆が出来そうな気配がしてきます。夜の稽古に備えて宿に戻って夕食をとり、テーピングも忘れずにしておきます。

14日の夜まで毎晩夜の稽古があり、近隣集落の子ども達と共に大浅生家と呼ばれる家の庭で稽古をします。小学生から中高生、大人まで集まり、提灯の明かりの下で、太鼓を叩く「裏打ち」、太鼓に向かって踊る「打ち子」、薙刀や斧、槌と鑿を持って舞う鬼が合同して練習します。

実際に打つ時は練習よりも少しテンポが速く、まだまだ修行が足りないことを実感します。

今年は参加学生が2人しかいなかったこともあり、2人とも地元の子ども達に相談している様子が見られました。子ども達も体で覚えたリズムを教えるのは難しいようで、「感覚でやってるからなぁ」という声も聞こえました。

前半は裏打ち+打ち子、休憩を挟んで後半は裏打ち+鬼という組み合わせで稽古が行われます。裏打ちの交代や道中太鼓からリズムを速めて変える切り込みの太鼓など、祭りの当日やる動きに沿った稽古も行われます。

次の日13日は午前中稽古があり、昨日に引き続き裏打ち、道中に加えて、鬼の薙刀踊り(浅生では踊ると言わずに「切り上げる」という)を教わりました。

新潟大学生にハナ(御祝儀のようなもの)が祭りで出ることがあり、その時にこの薙刀での切り上げをします。面こそ被っていませんが役としては鬼であるため、勇ましく大きな掛け声とともに気迫を出す必要があります。

ちなみに面を被らない状態を素面(すめん)ともいい、地域の人でも少し気恥しいと感じる人もいるようです。逆に、鬼の面を被ると鬼になりきりやすいとも言います。このようなパフォーマンスにおける面の有無が、心理状況から実際の演技にまで影響が出ることを実感することが出来ました。

3日目、14日は午前中に提灯を下げたり幟を立てたりと準備を手伝ってから稽古をしました。

それから午後は赤泊小学校で5,6年生に裏打ちを教える授業の手伝いをしました。6年生は去年既に習っているため、我々よりも上手な子が多いですが、5年生はたどたどしく、上手く腕も動かせない子もいました。たった数日分ですが一応先輩として、一緒にゆっくり叩いたり、鏡合わせに手本となってみたりして教えます。

最後の夕方の稽古は早めに終えて、明日当日のために英気を養います。

この数日集中して練習し、宿でも自主練習していた学生達はめきめき上達していました。手の豆も潰れてしまって最早痛くなくなっていたりと、掌に努力が刻まれていました。

15日は早朝5時に大浅生家に集合します。朝焼けが綺麗ですね。

参加者は各々法被や衣装に着替え、初めに大浅生家で無事祭りを終えることが出来るようお祓いと祈願を受けます。大浅生家で貰ったハナに応えて鬼や打ち子が出ます。

徳和のオンデコでは、ハナを貰う時に誰の鬼がいいだとか、どの打ち子がいい、誰の裏打ちがいいといったように指名されることがあります。自分の親戚の子や、親子兄弟で組み合わせたり、単純にお気に入りの演者を指名したりします。なお、このハナは指名された人のものになるため、子ども達にとっては貴重なお小遣いの稼ぎ時でもあります。

早朝から浅生の集落を門付けして回り、お酒やジュース、お菓子や軽食を度々貰いながら集落を歩き回ります。10時過ぎになると浅生を回り終え、徳和の他の集落へ出て回っていきます。

徳和の御神輿と獅子にもかち合うことがあります。

昼頃に御神輿や獅子の人達とも合流し、昼食を食べます。

午後は海の方へ下っていき、夕方 7 時には徳和の神社である大椋神社へ上がり、神前でオンデコを奉納します。これが終わると門付けもしつつ浅生集落ひいては大浅生家へと帰ります。

夜も更けて真っ暗になり、提灯やライトの明かりを頼りに歩いていきます。

一日中歩き続けて足が限界の状態で、最後に大浅生家で1時間近く様々な家から貰った ハナを一気に紹介し、鬼や打ち子が代わる代わる舞います。ラストスパートというやつです。

最後に三人の鬼全員が切り上げて締めになります。宿に帰った後は泥のように眠り、明くる16日再びフェリーでゆっくりと帰りました。

正直最後の方は疲労困憊で記憶があやふやになっています。しかし非常に達成感のある疲労で満足感も大きかったことは覚えています。

この数日間を通じて思ったことを少しだけ書き加えておきましょうか。

今回参加した2人とも、祭りへの参加というのは屋台へ遊びに行くものであったり、地元の祭りというものが無い新興住宅地であったりと、徳和で行われるような形での祭りの参加はしたことが無かったといいます。TAである筆者は地元の山車に乗って囃子をするような参加の仕方はありましたが、鬼のように人前に出てきて演じるようなことはやった事はありませんでした。

徳和の祭りで祭りの中心的な参加者、言うなれば非日常を演出し担う側として参加するという経験・感覚は 2 人の今までの「祭り」という概念とは少し異なるものだったかと思います。「「より格好いい太鼓」を目指す志向」や「ハナを貰った時の口上へのノリ」、「踊りで自分らしく格好良さを表現すること」など、祭りを担う人々独特の空気ともいえる感覚はこのような祭りへの参加の他には知覚し難いものでしょう。私自身、自分が踊りなどで「こんなやり方が格好良い」という「役」でありながら自己表現を含んだ研鑽は殆ど経験したことが無いものでした。一口に祭りといっても様々な参加のあり方があり、そこから見える世界もまた違うのでしょう。

この数日間の体験や感覚を通して学生たちが何か感じたことや引っ掛かりがあれば、そしてそれを大切に咀嚼してくれたなら、きっと単位以上の価値を持つ経験になるのではないかと思います。(文責:花野千尋(現社研M1))

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