自分の弱さに気づく~集中講義「社会福祉学」の紹介

社会文化学プログラム(社会学分野)4年の大西です。人文学部は60名近くの先生が在籍しており、幅広い分野から自分の専攻を決めることができるのが魅力です。また、専門の先生がいない分野についても「集中講義」というかたちで学ぶことができます。

「集中講義」とは夏休みなどを利用して短期集中的に行う講義であり、そこでは他大学の先生も教えに来てくださいます。このブログでは、集中講義のひとつである「社会福祉学」について紹介します。

どう進むかは誰も知らない、双方向的な講義形式

「社会福祉学」は兵庫県立大学の竹端寛先生による講義です。本講義はいわゆる一方向的な講義形式とは異なり、学生間の対話、先生-学生間の対話による全体討論という形式で進んでいきます。

先生-学生間の対話では、先生から『どうしてそう思ったん?』などの質問が投げかけられ、学生の思いや考えに迫っていきます。学生の発言に即して講義を行っていくため、先生自身も講義がどのように進行していくのかを知りません。これが本講義の最大の特徴です。

▲竹端先生と新刊書『ケアしケアされ、生きていく』

人間はみな、“弱さを持つ存在”

そもそも福祉って何でしょう。福祉と聞いて連想するのはホームレスや障がい者で、彼らのような“弱い人”を助けることが福祉であると考えるのが一般的でしょうか。では、私たちは“強い人”なのでしょうか。本講義は『これまでの人生で、意見を表明する機会と社会的な活動に参画する機会は確保されてきたか』という問いから始まります。

この問いに対して、多くの人が『確保されてきた気がする』という感覚を持っていました。しかし、ある学生から放たれた “校則”や“同調圧力”というワード。非常になじみ深いワードですが、これは上記の機会の確保を妨げるワードと言えるでしょう。何もホームレスや障がい者だけではない。誰しもが社会の抑圧を受けた経験がある、つまり人間はみな、“弱さを持つ存在”であると感じさせられました。

社会を見つめることは、自分を見つめること

以上の導入をふまえて、本講義ではジェンダー、貧困、障がい者、いじめ、水俣病など、多種多様なテーマに触れていきます。テーマに即した映像を見て、諸問題の実態はどのようなものか、諸問題に対して社会はどう取り組むべきか…。本当にいろいろなことを考えていきます。そこでぶち当たる壁があります。それは“キレイごと”の壁です。

もちろん、あらゆる人々が共生できる社会であることが理想で、そのために人々が共助的な関係を築く必要があります。ただ、それは全て“キレイごと”に見える。自分が当事者になったら、そんなことはできないかもしれない…。社会を見つめていたはずが、いつの間にか自分を見つめ、自分の弱さに気づかされていました。

「社会福祉学」の講義での経験

社会問題はどれも難しすぎる。そう簡単に解決することはできません。だからといって、諸問題を解決すべく声を上げ、行動している人に対して『でも、それはキレイごとだよね』と一蹴するのは間違っていると、あらためて感じました。

それは思考の節約にすぎません。“できない100個の理由”を考えるより、“できる1個の理由”を考えるほうが社会や自分を前進させる。思考の節約を選びたくなってしまうのも一種の弱さだと思いました。

前にも述べたように、人間はみな、弱さを持っています。この弱さを自認し、向き合う必要性を感じました。本講義を通して社会を見つめ、自分を見つめ直す経験は、弱さを自認することができたという点で非常に大きな経験だったと思います。

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