大学院 2 年生の山田太朗さんは、新潟大学大学院で現代ドイツの哲学者マックス・シェーラーを専門に、人間について研究しています。山田さんに、大学院進学を決めたきっかけ、研究内容やこれまでに得た知見などについてお伺いしました。
院進までのご来歴
──高校から大学、そして院進するまでのご来歴を伺えますか。
山田さん:高校は栃木県の宇都宮高校に在学していました。宇都宮高校は男子校ということもあり、球技大会や文化祭など、行事に本気で取り組めた印象に残っています。また勉強面では、進学校で先生や友人などの周りの影響もあり、勉強にも力を注げた環境でした。
研鑽できた日々だったと感じます。
部活はサッカー部に所属していました。小中学生とクラブチームでやっていたので、そのままサッカーを高校でも続けました。最後の大会前に怪我してしまい、大会に出場できなかったのが心残りです。それもあって、大学でもサッカーを続けたのかも知れません。総じて、高校生活は充実していました。
──学部生のころはいかがでしたか。
山田さん:新潟大学の人文学部に進学しました。大学は学習という点で、選択の自由度があがると思います。高校では勉強することに対して厳しい環境だったということもあり、入学後の周りとの学問への姿勢という部分でギャップを感じていました。さきに触れましたととおり、学部生のときは、高校まで続けたサッカーを大学でも続けました。
学部生の初期から初修外国語のドイツ語に力を入れて取り組んできました。その話でいうと、2 年生の夏休みに一度ドイツへ短期留学も経験しました。また、大学の入門講義を受講する中で、哲学に惹かれました。そうして 2 年進級時に人間学分野を選びました。その後も、ドイツ語と哲学の勉強はとりわけ注力していたと思います。
院進の理由
──院進した動機や理由を伺えますか。
山田さん:選択肢として院進することを考えたのは、学部 3 年生の中頃だったと思います。院進すること決めたのは、内的・外的な理由があります。
4 年生から一年間のドイツへの語学留学を考えていました。実際にそれに向けて本格的に用意をしていました。ただ、新型コロナウイルス感染症の流行によって、1 年間のドイツ留学が中止になってしまったんです。いざドイツには行きました。しかし、行ってすぐに帰国するよう指示があり、約 10 日で強制送還されました。そして帰国後、自宅待機となり、自宅で 2 週間の隔離を強いられました。これには精神的に参ってしまいました。予定が大きく変わってしまったのもあり、進路について考えました。
また、院進する理由としては、自身がまだ勉強をする気力があった、というのが大きかったと思います。自分自身、勉強が嫌いじゃありません。それに親は院進に対して反対しませんでした。「したい」よりも「できる」という気持ちがあったことが、院進する決め手だったのかなと思います。
今になってみて、院進という選択肢を選んだことについて全く後悔がない、という訳ではありません。確かに、もし学部 3 年時に就活していれば、と思うこともあります。思ってしまうのは仕方がないことだと思います。後悔は引き受ける必要があります。実際、院進をしてみて、院進しないとできなかったであろう経験や知識として学べたことは、たくさんあったので満足していますが。
研究内容について
──今は何を研究していますか。
山田さん:学部生のころから、マックス・シェーラーという人物の思想について研究しています。内容としては、主に「哲学的人間学」というものと「実質的価値倫理学」についてです。
学部生のころ、カントの倫理学と、シェーラーの「実質的価値倫理学」との比較に興味が湧きました。卒業論文でシェーラーについて取り組み、そこからそのまま研究しています。
今は、シェーラーの「哲学的人間学」について主に研究しています。
──シェーラーは研究テーマとして珍しいと伺いました。何かきっかけはございますか。
山田さん:きっかけは、卒業論文の制作にむけて、色々構想していく過程で、今まで人間学の卒論生がふれてきていない哲学者・思想、といったものに向き合って見たかった、というのがあります。そうして調べていった中で、マックス・シェーラーの哲学に出会いました。そのシェーラーの価値という概念に惹かれたんです。そこから色々調べて、最終的に卒業論文にシェーラーを選んで執筆しました。
──なるほど、研究内容についてもう少し詳しく伺えますか。
山田さん:まず、実質的価値倫理学についてです。
倫理学は善悪や行動の規範を取り扱うのですが、シェーラーの実質的価値倫理学は、カントと比較して説明するとわかりやすいかもしれません。
カントの倫理学は形式的といえます。「善い/悪い」は形式的に決まっているとカントは説いています。つまり、「しよう」・「すべき」ではなく、それ自身が善である行為をするということだと言っているんですね。それに対し、シェーラーは「善い/悪い」は行動の原理のみによらず、実質的に高い価値を成そうとすることにあると考えます。その価値は心情などによって私たちに現れてきます。こういった形式的ではない倫理学を打ち建てたのがシェーラーの偉大な点だと考えています。また、シェーラーの価値の概念ですが、これは実質的な価値の階層があり、それを私たちは感情や直感で判断できるといったものです。
次に、哲学的人間学についてです。「人間とはなにか」といった問いは、古くから議論されてきた命題です。例えば、「ホモ・サピエンス」という語は、「賢さ」といった視点から人間を規定したものです。しかし、ここにはある種の怪しさがあると思います。人間をただ賢いという側面から規定することには無理があるのではないでしょうか。「人間とは」その本質は、太古から様々な思想家によって規定されてきました。シェーラーはそういった歴史的な規定に反対します。シェーラーによれば、歴史などによって自己の本質を変容させていく、それが人間の本質であるといいます。
院進して得た知見
──院進した上で良い面、また悪い面あれば教えていただけませんか。
山田さん:メリット・デメリットで考える、というのはあまり好きではありませんが、そうですね。実学的ではありますが、読解力が向上したとおもいます。単純にしっかりと本を読むようになったことが大きいです。また、大学院生となり、学部生で得た知識を発展させる時間が増えました。加えて、先生との距離が近いことも大学院生だからこその良い面です。
ただ、やはり研究をするとなると、 環境は大事だなとつねづね思います。というのも、学びたいことを気軽に学べないことが多々あると思います。人文学部の先生が少ないため、講義の選択肢が減ってしまう。 また、地方大学なので、研究にあたって困難が生じることもあります。たとえば、文献の取り寄せなどの部分でハードルが高いと感じます。また、理系と文系の優遇の差というものがあります。これはコロナで顕著になったように感じます。研究室の問題等、理系よりも文系が優遇されない印象はぬぐえません。そのため、こういった文系の研究をすること、それに自体に対してのハードルがあります。
また、やることが多く精神的に疲れてしまう、というのはあります。基本的に、授業が先生と一体一です。これは、非常にためになりますが、 予習復習、 資料作成が大変であることも間違いありません。このことは、学部生ではできないことなのでプラスに考えることもできますが。忙しくはなる一方で、濃密な勉強や経験をすることができる。院進することで、経済的な負担は増えていますが、そこに囚われずに、勉強の時間を確保できるのは、両親が経済的に支援をしてくれているからだと考えています。
影響を受けたもの
──自分の考えや行動に影響を与えた本について伺えますか。
山田さん:一番は、千葉雅也さんの『勉強の哲学』 という本です。
これを読み、勉強することに対する価値観が大きく変わりました。自分自身、詰め込み型の勉強から解放されたときに、何のためにどうやって勉強するのかが分からなくなった経験があります。この本から、多角的な視点で物事を考えるようになるために勉強するべきという著者のメッセージを受け取りました。大学での勉強の指針となった本ともいえます。また、もっと学門性が欲しいなら、カントの『道徳形而上学の基礎づけ』を勧めます。パスカルの『パンセ』、これも良い本です。
──受講してよかった講義について伺えますか。
山田さん:大学院での授業はどれも身になります。人数が少ないからこそ、マンツーマンで教えてくれることはあり、深い知見を得ることができると思います。
学部生の時でいうと、阿部ふく子先生の「哲学入門」です。今では名前が変わってしまったかもしれませんが、1 年時に受講しました。1 年生の頃は、分野について何をやろうか悩んでいました。この講義が分野を決めるきっかけとなりました。結果として、大学院にまで進んでしまいましたし。加えて、独文の先生方の講義です。学部生のころからドイツ語を学んでおり、ドイツ語の勉強は現在まで続けています。
学部生に向けて
──最後に、学部生にアドバイスをお願いします。
山田さん:勉強しなさい。 勉強を通して、自己を変化させていく経験をしてほしい。
髪を染めるとか適当なサークルで馬鹿なことをするとか、大学生でしかできないことって言われることは沢山あります。しかし、もっと大学生でしかできないこととして勉強を蔑ろにしてはならないなって。勉強は、表面的な変化でもなく、自身の内面をしっかりと変化させることができ、なおかつ大学生はやらなくてはいけないことです。その勉強をおろそかにしてしまう人は沢山いると思います。本当にもったいないと思います。たしかに、勉強を続けまくって 「本物」 になれる人は一握りかもしれません。しかし、「本物」をめざしたことがあることは、かけがえのない財産になるのではないかと思います。
インタビュアー:小倉直樹(心理・人間学 3 年)折田あずり(言語文化学2年)