人文初年次演習は、私たちに気づきを与えてくれる

1年の高岡優里です。この記事では、1年次の必修のGコード科目「人文初年次演習」について紹介します。「人文初年次演習」は、大学入学後に最初に経験する演習科目(ゼミ)です。はじめての大学のゼミで不安に感じているかもしれない来年以降の新入生の方に向けて、私の経験をお伝えします。

等身大の自分をみつめる

私は大学生になるまでずっと、今までの人生の中で様々なことを自分の意志で選んできたと思っていました。しかし、大学生になって、私が今まで自分で選んできたと思っていた選択肢のほとんどが、周囲に用意されたものだったことを実感しました。

用意されていた日程に従って生活していた高校時代とは打って変わり、大学生になってからの毎日は全てが自分の意志と責任に基づき自分で作り上げるものになりました。

自分が背負う責任の大きさや、周囲の自分への扱いなど、様々なことが変化した中でも、特に自分自身が変わったと思うのが、自分の本当の位置というのが以前よりも明確に見えるようになったということです。

大学入学までの過程で、「念ずれば叶う」や、「努力は必ず報われる」など、私は多くの激励の言葉をかけられてきました。それら全てを完全に信じていたわけではありませんが、少なからず影響を受け、自分は努力次第で何でもできる、なんにでもなれる、と思っていた部分もあったように思います。

しかし、それは違うのではないか、等身大の自分というのはそんなものではないのではないかと、いい意味で自分が信じてきたものに対して疑いをもつようになりました。そのきっかけとなったのが、人文初年次演習でレポートを書くという経験です。

(▲写真:ゼミの様子(左が高岡))

レポートを書く=小石を足す

きちんとしたレポートを書くのはこれが初めてだったため、初めはどのような社会問題を取り上げようか、どのようにして解決方法を導き出そうか悩みました。しかし実際のところ、私が少し頭をひねっただけで解決できるような社会問題ならそもそも存在しないか、もうすでに誰かが解決しているのではないかということをしだいに考えるようになりました。

ゼミの先生が講義の中でおっしゃっていた、「レポートとは、先人たちが築き上げた知のピラミッドにひとつの小石を足すこと」と言う言葉が、強烈に私の頭に残っています。以前の私なら、自分の力だけでピラミッドを築こうとし、それができない自分を間違いだと感じていたと思いますが、先生の言葉によって新しい視点が開けた気がしました。

大きな目標に向かって挑むことが正しい、と考えていた私は当初、先生がおっしゃったような考え方を一種の諦めのように感じていました。しかし、少しずつそのような考え方に基づいた世界こそが、今後私たちが生きていく場所ではないかと思うようになりました。

私が考えたことが、一般的に正しいことかどうかはわかりません。しかし、今までなんとも思わなかったようなことに目を向け、自分自身で考えをもつ行為そのものに、私は大きな意味があるように思います。

(▲写真:ゼミのメンバーで花火)

答えのない問いに自分一人でぶつかる準備をする

与えられた唯一の正解を導き出す高校時代までの勉強とは対照的に、大学に入れば、答えのない問いに自分一人でぶつかっていかなければいけないことがたくさんあります。私にとってその準備段階にあたるのがこの、初年次演習でした。

ここでは誰にも周囲の意見を否定することはしません。自分が考えた意見を真剣に聞いてもらい、そのうえで周囲に意見してもらうことで見えてくるものは多いです。せっかくの必修科目なので有意義に活用して、今後の大学生活に生かしていってほしいと思います。

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