自分の大学生活の中で1番良い経験~「フィールドワーク」

社会学専攻4年の福本将也です。この記事では社会文化学プログラムの発展講義・実習の一つである「フィールドワーク」という授業を紹介します。

「フィールドワーク」では皆さんが大学入学以前に習ったことのある「水俣病/新潟水俣病」について深く学びます(なお、私が受講した年までは「現代社会論」として開講されていました)。

行くまでは不満や不安があった現地実習

水俣病とは化学工場でできた有機水銀が海や河川に排出され、食物連鎖の過程で有機水銀の生物濃縮が起こり、その汚染された水産物を人や動物が食べることで起こる疾患です。手足の感覚障害をはじめ、痛みを伴う様々な症状を引き起こします。

1956年に熊本県水俣市で、1965年に新潟県阿賀野川流域でそれぞれ初めての患者が報告されました。被害者の皆さんは当時から耐えがたい苦痛を経験しており、今もその症状を抱えて生活しています。

この授業は大学の教室での講義はもちろんのこと、実際に現場に赴いて実習を行います。最初に新潟での実習に加えて水俣での「三日間の現地実習」という話を聞いたときに自分は正直、「忙しいのに休日が無くなった」「被害者の方たちにどんな質問をしていいのかわからない」という不満や不安があり、現地実習をネガティブに捉えていました。

しかし実際に水俣で現地実習を行うと、実習に行ったメンバーと仲良くなったり、初めて飛行機に乗る経験をしたり、おいしいものを食べたり、講義を聞くだけじゃ想像すらできなかった現実を知ることができたりと、自分の大学生活の中で1番良い経験ができたなと思います(書かされてわけではなく本心です)。

(▲写真:不知火海の漁船の上で説明を受ける一同)

「自然を利用する」か「自然とともに生きる」か

講義と現地実習を通して、自分は新しい視点で現代社会を考えられるようになりました。

水俣病という公害問題が発生した要因が国や企業の過失なのは自明ですが、被害者の方々の語りを聞くと、私たちの中にある「自然への敬意の喪失」や「身の回りで苦しむ人の声を軽視する」という部分が被害を拡大・複雑化していたことを知りました。

私たちは知っていることだけで世界を捉えようとする傾向があり、自然を利用しようと試みます。現地で生活していた人々と企業はともに「自然を利用した」という側面がありますが、自然への敬意の有無が両者の大きな違いでした。現地に生きる人々は自然を利用するというよりも「自然とともに生きる」という謙虚な姿勢で生きていました。

その一方で、企業側は自分達の論理を押し付ける姿勢をとっていました。この謎の奇病が発生した当時はまだ生物濃縮という論理が解明されておらず水俣病の原因を特定できなかったため、問題ないとして工場排水は止められることなく河川に流れ続けました。

もし「工場排水が原因ではないか」と疑われた時に「人間は自然を解き明かした」という考えを捨て、企業が何かしらの対応をとることで河川への排水を止めていれば、被害の拡大は防げていました。

(▲写真:人々の暮らしと水俣の海)

水俣病は今後の自分や社会が確実に再び直面する問題

また、被害者の方々は「病気による身体的な痛みよりも、差別や偏見という精神的な痛みの方が苦しい」という状況を語っていました。水俣病の発生原因と過程が明らかになっていない頃、被害者の方々は身体的苦痛に耐えながら、感染症や風土病、奇病だとして差別されてきました。

差別されることを恐れた人々は誰にも相談することができず、病気のことを絶対に知られてはいけない秘密として抱え込んでいました。そのため社会の中でも水俣病の認知度は低いまま正しく理解されず、問題が長期化・複雑化していきました。

この経験は今も自分の中で物事を考える視点として役立っています。水俣病問題の発生過程は、人類が自然を利用して暮らしを豊かにしようとする現代社会において、今後の自分や社会が確実に再び直面する問題だと思ったからです。

(▲写真:新潟水俣病を語り継ぐお地蔵様)

おわりに~知識だけではない学び

自分は特に目的もなく大学に入ったのですが、4年間在籍した中で最も濃密で専門的な内容が学べた授業がこの「フィールドワーク」だったのではないかと思います。

授業で学んだ知識だけではなく、社会問題を抱える当事者との向き合い方、そこから今後の自分がどのような視点で社会を見ていくべきかを考えるきっかけとなりました。

自分はあまり真面目ではないのですが、この授業を通してひとつ成長できたような気がします。

(▲写真:新潟水俣病の発生源となったダム)

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