社会・地域文化学プログラム 4年の島守です。「新任教員インタビュー」として、民俗学、文化人類学を専門にする加賀谷真梨先生にお話を伺いました。
- 日時:2016 年 6 月 8 日(水)15 時 00 分~16 時 00 分
- 場所:総合教育研究棟A棟 4 階 加賀谷研究室
- インタビュアー:島守(社会・地域文化学プログラム 4 年)
- インタビュイー:加賀谷真梨先生(社会・地域文化学プログラム准教授)
先生の研究内容について
学生(以下学):それではインタビューを始めます。よろしくお願いします。まずは加賀谷先生の研究内容について詳しく教えてください。
加賀谷(以下加):民俗学と文化人類学の領域で研究活動をしてきました。調査地は沖縄の八重山諸島で、個々の離島に住まう人たちが過疎化や少子高齢化の危機をどのように回避しながら固有の文化体系を維持してきたか、その島ごとの多様な実践に着目してきました。
例えば、祭祀行事が盛んな島における祭りの構造や機能に着目したり、一見男性中心的に見える島社会のジェンダー関係を読み解いたり、高齢者介護の実践に着目したりと、主題を変えながらも人々の営みと島の維持存続との連関にミクロな視点でアプローチしながら、共同体ってなんだろうということを考えてきました。学部生の卒業論文執筆時に八重山に 足を踏み入れてから、修士、博士と同じ地域で研究を続けています。
学:ずっと研究なさってきたんですね。学部生でそこまでダイナミックに動くことは新潟大学では少ないと感じます。
加:新潟大学の学生さんたちが外向きではないことが、着任して最初の驚きでした。私自身は出身地ではないところに飛び込んでいくことに抵抗を覚えたこともないし、それが珍しいという意識もなかったです。人類学者ならば海外をフィールドにするのが一般的ですし、むしろ沖縄は国内だという、引け目のような感情すら抱いていましたね。
学:「高齢者介護と相続の相関に見る沖縄の『家族』に関する人類学的研究」、とは加賀谷先生の主な研究なのですか。
加:それは現在進行形の科研の研究課題です。高齢者介護に関する研究は7年位前から始めました。八重山諸島のある島では、介護保険法が施行された 2000 年を契機に、これまで家族が担ってきたお年寄りの介護を島の人たちが担い始めました。言ってみれば、昔からよく知っている隣の家の孫が、自分の世話をしてくれるといったそんな関係が築かれ始めたんです。
島で最後を迎えるという高齢者の希望を手助けすると同時に、島の新しい雇用創出にもなるというとても理想的に見える活動ですが、皆が旧知の関係であるからこそうまくいくことと、逆に知りすぎているからこそ難しいこともあります。
そうした小さな社会における高齢者介護の可能性と困難さについて研究しているところです。できれば、今後、新潟でも調査をし、沖縄の事例と比較していきたいと考えています。
学:介護問題は本当に難しいですよね。八重山諸島の例やそのような試みがあることを知らなかったので、非常に興味深く、そういう形もあるのだなと感じます。
加賀谷先生のご経歴について
学: 先生の今までのご経歴を伺いたいと思います。
加:出身も育ちも神奈川県です。大学・大学院はお茶の水女子大学で、9 年間お茶漬け生活でした。学部時代の専攻は社会学でしたので、卒論ではリゾート開発による社会変容をテーマにしようと、「るるぶ」で見つけた巨大なリゾートホテルがある小浜島に足を踏み入れました。
ところが、この島は年中行事や祭りが極めて盛んな島で、当時の島の人たちはホテルや観光業なんてどこ吹く風といった様子で生活している。その祭りを中心とした生活に圧倒されると同時に島の人たちの祭りに対する矜恃に魅せられ、この島を語るには文化人類学か民俗学しかないと思い、修士課程進学時に専門を転向した次第です。また、人類学の先生が偉大な方でこの先生に師事し、指導を受けたいという純粋な学習欲もありました。
2006 年に博士号取得後はいろいろな大学で非常勤講師をしました。特に、法政大学と放送大学での在任期間は長かったですね。非常勤講師といえども、いろいろな学生さんとの出会いがあって、一つ一つの授業での出会いが思い出深いです。
また、2009 年から日本学術振興会特別研究員PDという身分で 3 年間研究に専念させて頂き、2012 年から大阪の国立民族学博物館で機関研究員として 3 年間勤めました。現在、博物館学の授業を担当しているのは、民博で博物館運営に間近で接した 3 年間があったからです。
開講講義について
学:それでは、加賀谷先生の経歴を踏まえまして、新潟大学で先生がどのような講義をなさっているのか、開講している講義についてお伺いしたいと思います。
加:民俗学の他に、博物館に関する授業を担当しています。前期は博物館概論、後期は博物館資料保存論を担当し、また博物館実習のコーディネーターも務めています。博物館学担当教員ということで、大学院では文化財に関する授業も持っています。
但し、個人的に、今期一番力を入れているのは「民俗文化論 A」という授業です。この授業では私の得意分野であるジェンダー研究の視点を活かしながら「性をめぐる民俗」に関する講義をしています。性というものが民俗社会でどのように扱われてきたのか、その具体的有り様に着目しながらも、かつて日本社会ではこんな風に女たち/男たちは暮らしていましたという解説で終わるのではなく、特定の民俗文化の「裏」にも思いを馳せることを心がけています。
さらには、どのような政治権力の働きや産業構造の変化が、現在の我々の性に対する認識や性規範・性役割を形作ったのか、歴史学の研究蓄積にも触れながらその来歴や変遷も考えられるよう心がけています。
学:民俗学とジェンダーという視点を融合させているのですか。
加:そうです。例えば、明治初期の頃までは女性が初潮を迎えると、あるいは一定の年齢を迎えると村落内で祝福し儀礼を執り行うこと広く見られました。このことを別言すると、女性の身体は地域の人たちの関心の下にあり、個の所有物として女性の身体は存在していなかったと言えます。
女性の身体や性的成熟に関する社会の関心の高さは、マタニティマークをつけることを躊躇するような世知辛い現代からすると良い社会であると思えるのですが、実際はそれだけ女の身体が可視化されていたこと、月経を迎えない女性に対しては蔑みが強かったことの裏返しでもあります。
このように民俗文化には表と裏があり、一概に良し悪しを判断できないことを授業では強調して伝えるようにしています。
今年も学生たちの反応が面白かったのですが、初潮を迎えたことを祝うこと自体知りませんでした、という学生が何人かいました。もはや、お赤飯を炊く・炊かないといった話ではないのです。なので、なぜ初潮を恥ずかしいと感じるのか、家族にすら隠さなければならないのか、いま一度自分の感覚を捉え返してみてとその学生さんたちに投げ返したところです。
かつての日本の女性の感覚や心意が今のそれと違うとするならば、今なぜこうなっているのか、過去と現在を往来しながら自分自身の感覚や認識を問うことを授業では重視しています。
加賀谷先生の学生時代について
学:それでは最後になるのですが、加賀谷先生はどんな学生時代を送られてきましたか。
加:大学院からは自分で学費を払おうと考えて、学生時代はアルバイトに明け暮れていました。それと教員免許の取得を志していたので、多くの授業を取る必要があり、ひたすらレポートに追われていた思い出があります。
学:アルバイトと授業のレポートに励んでいたのですね。
加:卒業した時の単位数が確か 196 とか 198 で、あとちょっとで 200 というところでした(苦笑)
学:すごいですね!ということは加賀谷先生が学部生の時に専門になさっていた社会学とは関わりのない教員免許を取ろうとお考えだったのでしょうか。
加:いえ、中学の社会と、高校の地歴でしたが、要件として重ならない授業が多かったので、それで単位が積み重なっていきました。
学:アルバイトはどんなことをなさっていたのですか。
加:家庭教師とイベントバイトです。イベントは、主に就職セミナーの運営に携わっていました。実は 2,3 年生なのに社員のふりをしながら、会社の仕組みを理解するために用意したゲームの司会進行を行っていました。大学の友人にも手伝ってもらって、一緒に大阪に出張に行ったり楽しかったです。
学:大学生活や大学院での生活を思い返したときに、こうしておいたらよかったなと思うことはありますか。
加:ないですね。大学では「師匠」と呼ぶにふさわしい先生に巡りあえましたし、新しい考え方を知ることも楽しかったし、人と違う視点が評価される世界に居心地の良さを感じました。もちろん、レポートを書いたり論文を書いたりする産みの苦しみはありますけれども、ああしておけばよかったという後悔はないです。
学:私もそんな学生生活を送れるように、あともうちょっと頑張りたいと思います。本日はありがとうございました。