こんにちは。社会学分野4年の吉田ひなたです。卒業論文発表会を無事に終え、ようやく少し落ち着いた時間を過ごしています。これから卒論に向き合う後輩の皆さんや、人文学部で何を学んでいるのかを知りたい方へ向けて、私の「卒論奮闘記」を共有してほしいとの依頼をいただきました。飾らない、ありのままの経験をここに記してみようと思います。
記事の目次
「自分らしく働く」ことをめぐる問い
私の卒業論文は、「夜職における感情労働」をテーマとしました。感情労働とは、対人サービス業において、職務上求められる特定の感情(笑顔、親切、冷静さなど)を表現するために、自身の本来の感情を抑圧・管理する労働形態のことを指します。
私がこのテーマを設定するに至った背景には、学生時代の接客業のアルバイトとしての経験があります。その中で、同じような環境で働いていても、「心身共に大きく消耗してしまう人」と、「比較的に自分らしさを保ちながら働いている人」がいることに気づいたことが出発点でした。私自身も、職場によって「我慢しながら働いている」と感じるときと、「心地よく働くことができている」と感じるときの二通りの感覚があることに気づき、その違いはどこから生じるのかに関心を持つようになりました。

「夜職はつらい」という前提を脱ぎ捨てる
一般的に夜職は「つらい」「消耗する」「自己をすり減らす」といったイメージを持たれていることが多いと思います。しかし、実際に私自身がその世界で働いた経験から、必ずしもすべての人がそうした状態に陥っているわけではないということを実感しました。そこで、「仕事の自分」と「本来の自分」の境界が曖昧になることで生じる自己の消耗を「自己の毀損」と定義し、夜職において、どのような実践や職場の構造があれば自己の毀損を回避できるのかを明らかにしたいと考え、本研究のテーマを設定しました。
卒業論文を書き始めた当初は、「夜職と感情労働」という漠然としたテーマ設定で、何を明らかにしたいのかが自分でもはっきりしていませんでした。先行研究を読み進める中で、感情労働が自己の消耗や疎外、バーンアウトにつながるという議論が多いことを知りましたが、それが自身の経験とは必ずしも一致しない点にとまどい、悩むこともありました。
しかし、本学の集中講義である「社会福祉学」を受講した際に、講師である竹端寛先生と偶然帰り道で会話を重ねる機会があり、「働くことのしんどさ」や「合理性の多様さ」について話す中で、働いている人それぞれによって合理性があり、必ずしも夜の世界で働くことが自分自身を傷つけることにつながるとは限らないことに気づきました(竹端先生授業紹介記事)。そして私自身が、「夜職はつらいもの」という前提にとらわれていたことに気づかされました。そこから、自身の経験に立ち返り、「つらさをどう取り除くか」ではなく、「なぜ同じ環境でも感じ方が異なるのか」という問いへと視点を転換することができました。この転換が、研究全体の方向性を大きく変えるきっかけとなりました。
現場の語りの豊かさと理論とのあいだ
調査では、スナックで働く従業員八名の方々にご協力いただき、半構造化インタビューを行いました。日常的な経験を語ってもらう中で、感情管理や人間関係といった目に見えにくい要素を言語化することは容易ではなく、質問の仕方や聞き取りの進め方に苦労しました。また、得られた語りを社会学の理論と結びつけて分析していくという作業は、想像以上に難しく、理論をあてはめすぎてしまわないか、あるいは主観的になりすぎてしまわないか、そのバランスを模索し続けました。自身も夜職で働いた経験があるからこそ、当事者性を保ちつつ、距離をとりながら記述することの難しさを強く感じました。
理論は、複雑な現実を理解するための有効な枠組みである一方で、現場の語りの豊かさや多様性を一つの説明に回収してしまう危うさも併せ持っています。アクターネットワーク理論を学ぶ中で、人・モノ・制度・言葉といった様々な要素が絡み合いながら現実が形作られていることを意識するようになり、理論はその一部を照らす「視点のひとつ」に過ぎないのだと感じるようになりました。だからこそ、理論に当てはめること自体を目的とするのではなく、理論はあくまで道具に過ぎず、現実の複雑さにできる限り近づこうとする姿勢を大切にしたいと考えるようになりました。
個人の頑張りに頼らない、集合的なケアの力学
卒業論文の執筆を通して、私が最も大きく学んだのは、「感情労働のしんどさ」は個人の努力や対人関係の工夫だけでは解決しきれないということでした。感情労働というと、一人で抱え込みながらうまく立ち回る力や、高度なコミュニケーション能力によって乗り越えるものとして語られがちです。しかし調査を進める中で、そのような個人の頑張りに依存する形は、かえって自己の消耗を強めてしまうことにもつながりかねないと感じるようになりました。
一方で、調査対象とした店舗では、従業員だけではなく、ママや顧客も含めた三者の関係性の中で、感情労働が分担され、共有、調整されていました。感情労働の負担を特定の個人に集約するのではなく、周囲を巻き込みながら「集合的にケアする」ような実践がなされていたのです。そこでは、それぞれが異なる合理性をすり合わせながら、その場にとって無理のない形を探る工夫が積みかさねられていました。
このような職場の実践を通して、感情労働の問題は、個人や二者関係の努力によって解決されるものではなく、職場の構造や関係性のあり方によって、大きく変わりうることを実感しました。
卒論を書き終えて―ケアから日常を問い直す視点を携えて
卒業論文の執筆を通して、日常の中にある「当たり前」を問い直す視点―当たり前がいかにしてケアによって成り立っているのか―を身につけることができたように感じています。夜職という一見特殊に見える労働環境も、感情労働や職場構造という視点から捉えなおすことによって、現代社会に共通する問題として考察できることを学びました。自身の経験を学問的に分析する過程は決して容易ではありませんでしたが、それだけに完成した時の達成感は大きく、卒業論文は単なる課題ではなく、これまでの学生生活の集大成であり、自分自身と向き合う貴重な時間であったと感じています。
最後に、卒業論文を書き上げるにあたり、伊藤ゼミの3・4年生の皆さんと活発な議論を重ねる中で、多くの気づきと刺激をいただきました(ゼミ紹介記事)。また、指導教員である伊藤嘉高先生には、提出の直前まで様々な助言や的確なご指導をいただきました(教員インタビュー記事)。行き詰った際に先生に相談すると、前向きな視点からのアドバイスをくださり、そのおかげで最後まで楽しみながら卒業論文と向き合うことができました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
