人文学科の引木、遠山、菅です。「新任教員インタビュー」でドイツ文学、ドイツ文化、日独交流史を専門とする馬場大介先生にお話を伺いました。
馬場大介先生の学生時代の留学経験から、ドイツ文学研究をするに至った経緯、そして現在の研究内容まで幅広くお話を聞かせていただきました!馬場先生の言葉から伝わってくるドイツ文学研究の魅力を皆さんにお届けできればなと思います!
日時:2026年7月21日(火)18:00~19:00
場所:総合教育研究棟A607
インタビュアー:引木花(言語文化2年)・遠山友梨奈(1年)・菅友里愛(社会文化2年)
インタビュイー:馬場大介先生(言語文化学プログラム)
ご経歴~ドイツ留学を経て
引木:まず初めに馬場先生の経歴をお伺いします。
馬場:はい。僕は立教大学という東京の私立大学に通って、ドイツ文学を1年次から専攻しました。徐々に留学に興味を持つようになり、3年生の時に1年間休学して、ベルリン・フンボルト大学(Humboldt Universität zu Berlin)で学びました。それから、帰国するタイミングで、就職よりも進学を選ぼうと決意して、就活はせずに大学院に進みました。
進学先の立教大学大学院の修士課程(博士課程前期課程)と博士課程(博士課程後期課程)でもドイツ文学を専攻しました。博士号を取得してからは、母校でドイツ語の教員として勤めていました。 新潟大学には2024、25年度は非常勤講師として、今年度からは准教授としてお世話になっています。
引木:ありがとうございます。1年次からドイツ文学を専攻されていたということですけど、高校時代や中学時代から、ドイツ文学に興味をお持ちだったんですか。
馬場:実は僕、最初からドイツ文学に関心があったわけではなくて。たまたま立教大学のドイツ文学専修に合格したのが、ドイツに興味を持つきっかけだったんです。ドイツ語の勉強が僕には割と性に合ったんですよ。教えてくださった先生もすばらしくて、みっちり授業してくださいました。それで、少しずつドイツ語が上達して。それからですね、学術的な関心がついてきたのは。
引木:なるほど。じゃあ最初はドイツ語の学習から始まり、徐々にドイツ語に触れていく中で、ドイツ文学やドイツ語関係に関心を持つようになったという感じなんですね。
馬場:そうですね。あとは一緒に勉強していた友人からも影響を受けました。1年生の時、同じクラスにすごくドイツ語がよくできる男の子がいたんですけど、その子がすごく頑張ってたから、彼に引き寄せられるようなかたちで、ドイツ語を勉強しました。2年生になる時にゼミを選ぶのですが、ドイツ語の翻訳課題を毎週出す先生のゼミに入って、みっちり勉強してから留学しました。
留学は、外国にそれまで行ったことがなかったので行きたいなと思っていました。3年生の時に2学期間行ったんですけど、それでもいきなり1年留学するのはなんだかちょっと怖かった。それで、 2年次に夏休みに1ヶ月限定のドイツ語の語学コースに参加して、ちょっと慣らしましたね。
引木:2週間だけ、みたいな感じですか?
馬場:僕の場合は4週間でした。それを経て留学するステップを踏みました。
遠山:そうなんですね。3年の時に行かれたっておっしゃっていましたが、留学にあたって語学力で困った面は特になかったのですか。
馬場:いやー、めちゃめちゃ困りましたよ。
ドイツ語は2年ちょっと頑張りましたが、リスニングとスピーキングが苦手だったんです。だいたいの日本人の学生って文法をきっちり勉強してから留学する人が多いから、向こうで語学コースのクラス分けのテストを受けると、筆記テストで結構いい点を取って上のクラスに入れられちゃうんですよ。
僕も実力以上のコースに入れられてしまいました。クラスメートはみんなドイツ語を流暢に喋るんですよ。だけど僕は、「私の名前は~です」みたいな簡単な表現でも、たどたどしくなってしまう。だけど、テストをすると、僕のほうが結果がいいんですよね。文法問題を解いたりするのと日常会話をするのとではドイツ語が全く違うんですよね。そこが面白くて、文化によって外国語の捉え方が全然違うんだなと実感しました。自分が苦労しないことに他の国の留学生はすごく苦労しているし、僕ができないことを彼・彼女らは平気でやっているし、なんだか面白いなと思いました。
当時はトルコからの学生が特に多かった。ドイツ、オーストリアとトルコはそう遠くないですからね。ちょっと勉強しただけですぐ来たんだろうなっていう学生もいました。僕は2年次の夏休みだけでなく、留学直前の3年次の夏休みにも語学コースに参加しました。3年次は、ウィーン大学(Universität Wien)の語学コースに参加したんですけど、同じクラスでトルコ勢に囲まれましたね。
みんなフレンドリーだし、ドイツ語はよく喋れるからすげえっと思っていたら、初歩的な文法のことはよくわかっていなかったりして、これはこうなんだよと教えることもありました。毎回授業の時に小テストをするんですけど、先生がちょっと席を外した時に、男の子が僕の答案を覗いてきて、「何やってんだよ」って言ったりして。そういう国際交流もありました。
引木:いいですね。すごく楽しい人たちと出会えますね。やっぱり他に日本人の方もいたんですか?
馬場:幸いにもいませんでした。僕だけでしたね。日本人は中級以上のクラスに行くとあまりいなかったんですよ。中級クラスのやたらと喋れる人たちの中に投げ込まれて、すごく鍛えられました。
引木:ところで、どうして大学院に進学しようと思ったんですか?
馬場:ベルリンのシンボルのひとつに、ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)があるんですけど、留学を終える直前にそれをぼーっと見ていたら、「研究職いけるな」って思ってしまったんです。
今思うと過信も甚だしく恥ずかしいもので、その自信には何の根拠もありませんでした。今振り返ってみると、昔の自分にちょっと説教したくなります。
引木:それが大学院進学につながり、今、大学で働くというところに繋がっていますもんね。すごいです。
馬場:いや、計画性は全くなかったんです。結果として、今こうしてここにいるだけですよ。今振り返ると、当時の自分は危うかったなって思います。
引木:留学先でインスピレーションを受けたんですね。
馬場:人生のワンシーンで「コレ!」って直観的に思ったものは、自分の人生を決めるときのきっかけになることがあると思います。そのとき感じたこととか、そのとき見ていたものとか、今でもはっきり覚えていますね。本当に何の根拠もないですけどね。下手したら間違った方向に行く可能性もあったんですけど、当時の僕はインスピレーションを信じてしまいましたね。
引木:それは多分、先生のそれまでの積み重ねあってのものなんでしょうね。
馬場:そうなのかなー。

研究内容~「誤解」の上に成り立つ異文化
遠山:今先生が主に研究なさっている内容について詳しくお伺いしたいです。
馬場:お二人は、文学研究ってどんな感じだと思います?
引木:私が思う文学は、普遍的な価値観とかもそうですし、その時代にしかなかったもの、その時代と現代との共通点や相違点を、その作品を軸に見つけ出すことと、そこの作品のその周辺的なもの、例えばその時代背景とか、成立背景とか、その他の国との関わりとか、そういうところも含めて研究していくものかなというふうに私は考えています。
馬場:バッチリです。まさに、そういうことを研究するのが文学研究なんですよね。それで、従来の文学研究って、主な対象は有名な詩人であったり、作家であったりで、その人たちの作品を研究するんですよ。人物であったら詳しくその人のことを調べるし、作品であったらじっくり丁寧に読んでいくわけです。もちろん原文でね。それがいわゆる文学研究のオーソドックスなラインです。
結局、日本のドイツ文学研究者は、今までは基本的に作家と作品の研究を続けてきたわけです。その積み重ねの中で、ドイツの作家や研究者とつながったり、自分でも論文を書いてそれを発表したりするんですけど、多くの場合、彼・彼女らは日本語でドイツのことについて論じるんです。ドイツ文学では、一つは作家・詩人・脚本家とその作品っていうのを中心に勉強していて、もう一つは、言語学っていうラインがあって、ドイツ語の歴史や特徴について調べたりする。
あと、演劇や映画の作品を調べるとかもあるんですけど、ドイツ文学って基本的には作家と作品の研究がメインなんですよ。でも僕はその立場とはちょっと違っていて、日本におけるドイツ文学の歴史にフォーカスして、日本でドイツ文学ってどうやって研究されてきたのかに興味を持ったんですよ。なので、従来の文学研究者たちとちょっと視点が違うかもしれません。
博士課程に進学するとき、指導教員からアドバイスを受けて、明治時代の日本でドイツ文学ができた時期にドイツからやってきた「お雇い外国人」と言われる教師に目を向けました。そこで、当時教壇に立ったカール・フローレンツ(Karl Florenz)という人のことを調べたんですね。つまり、僕は作家やその作品を研究するんじゃなくて、ドイツ文学の創設に関わった研究者・教師とその著作を相手にしたんです。そういう違いがあります。
そのカール・フローレンツは面白い人で、そもそも日本文学に興味があったけれど、当時のドイツでは日本文学を研究するのは難しかった。でも、 大学生の時に、ドイツに留学していた数少ない日本人と知り合って、その人たちに、今日本に来れば教師の仕事もできて、日本のことも研究できるよと言われて、とうとう来日してしまう。若いフローレンツはドイツ文学のエキスパートではなかったけれど、高校(ギムナジウム)時代までに自国の文学や歴史について一般的な知識は習得していたので、ちゃんと授業ができたみたいです。
一方で、フローレンツは日本文学作品を原文で読めなかったので、ドイツ文学科のお弟子さんに作品のドイツ語訳を作らせながら研究していました。そうやって、彼は長い時間をかけてドイツ語で『日本文学史』(Geschichte der japanischen Litteratur)を書き上げます。この著作は、ドイツ語圏の読者を相手に書かれているんですけど、『万葉集』とか『源氏物語』とか、伝統的な文学作品についてもかなり詳しく解説しているんです。その主な情報源は、同僚の日本人の国文学者が教えてくれたことだったんです。だけど、その文学史の書き方自体は、19世紀の伝統的なドイツ文学史の記述方法に則っているんですよ。
なので、これは日本にあった日本文学の知識と、ドイツで生まれたドイツ文学史の書き方を組み合わせた著作として読めるんじゃないかって視点で研究して、博士論文を書きました。
引木:ドイツ人目線で日本文学が書かれているなんて絶対面白いですよね。
馬場:面白かったですよ。
遠山:なんで従来のドイツ文学研究とは違った視点で研究をしようと思ったんですか?
馬場:僕は2011年にちょうど留学していたんですよ、さっき言ったベルリンに。その年はちょうど東日本大震災があった。その時、ドイツメディアの報道は日本の震災よりも原発事故のほうにフォーカスしていました。当時、震災で亡くなった方がたくさんいたことは判明していた一方で、原発事故が原因で亡くなった方はいないと報道されていたのに。
ドイツは、国内の原発を全て止めて、自分たちは脱原発の方向へ舵を切ったんですが、それはなぜなのかと疑問に思いました。僕にはそれが異文化への理解や考察に基づいているとは思えなくて、むしろ日本のことはよくわからないけど、日本とはこういうものだろうという、伝統的に持っていたステレオタイプに基づいて議論をしているように見えました。
ドイツの一部のマスメディアは、日本について真剣に分析したり論じたりしているんですけど、それがすごく空虚に見えたんですよね。中身がないというか。そういう議論って、僕らは異文化「理解」みたいなものを前提に考えがちだけど、実は異文化「誤解」の上に成り立つんじゃないかって、考えたんです。だから、ドイツは日本に対してどういうイメージ持っているんだろうという疑問が研究のきっかけですね。
もともとドイツ文学に興味があるというよりかは、そういう異文化の接触みたいなものに興味がありました。僕が修士課程から博士課程に進学する時、指導をくださった先生が、やっぱりドイツ文学で博士課程に行くのだから、ドイツ文学に関係のないこと、例えばドイツの原発事故報道の研究じゃ長期的にやっていくにはキツイと指摘してくださったんです。そこで、さっき言った明治時代のお雇い外国人の話を聞いて、なるほどなと思って自分で調べてテーマを決めました。
引木:先ほどおっしゃっていた、ドイツの方の目線から書かれた『日本文学史』は、書かれた内容は日本文学として整合性のあるものでしたか?
馬場:そこが面白くて。内容としては明らかに間違っているとは言えないんですけど、カール・フローレンツは日本語がそんなに読めなかったので、基本的にはドイツ語が話せる国文学者の同僚から日本文学の知識を得て、ドイツ文学科の教え子たちに卒業論文指導の一環として、日本文学の原文をドイツ語に翻訳させる課題を出して、それをせっせとチェックして自分のものにしていったんですよ。
知識自体は国文学の人たちが持っていた知識で、フローレンツはそれを歪めたりしないで引き受けるんですけど、その当時の国文学者のほうが、今から見ると部分的に間違った知見を持っていたんです。フローレンツはそれを取り入れてしまったので、そういう意味で彼の文学史の内容は間違っているんですよ。
あと、ドイツ文学史の書き方として、言語と文学を共有している国民の精神っていうのを設定するんです。「ガイスト(Geist)」って言うんですけど。ドイツでは、そのガイストがある時はすごく元気になって、調子がいい時はすごくいい作品を生み出すと。でもガイストが落ち込む時もあって、戦争が始まったりすると、元気がなくなっていい作品が生まれない。そこで調子はガクンと下がるんだけど、また上がっていくという具合です。ドイツ文学史は、そういうガイストの紆余曲折があるのだという視点で書かれました。この時期は文学が盛んな時期です、でもこの時期は衰退していますといった図式で文学史を書くんですよ。
そういう書き方、それが正しいか間違っているかは今では議論されませんが、文学史はそういう見方で書かれていました。
引木:面白いですね。ガイストって初めて聞きました。
馬場:ドイツ文化のキーワードです。だからドイツの思想を勉強すると必ず出くわします。
引木:そうなんですね。
馬場:ガイストって言うと、多分皆さんはポルターガイストみたいな心霊現象を想像すると思うんですけど、そうじゃないんですよね。ガイストはもっとポジティブな意味で、人間の心からこう湧き上がってくるような、一人の人間も持っているし、一定の集団も持っているものなんです。あと、ある時代には特有の精神があるみたいな、そういう考え方をするんです。
引木:じゃあ、個に対しても使うし、社会に対しても使うし、時代に対しても使うんですか?
馬場:使います。
引木:汎用性があるんですね。
馬場:そう。しかもガイストと言われると、すごく力強いものがある。
引木:そうですよね。インパクトがあります。素敵な概念ですね。
馬場:人文学のことをドイツ語では「ガイステスヴィッセンシャフテン(Geisteswissenschaften)」って言うんですよ。「ガイスト」は精神、「ヴィッセンシャフテン」は学問(複数形)という意味です。だから僕らのやっていることは、ガイストの学とも言えるんですよね。
引木:確かに文学って心から湧き出てくるものを表現するみたいな、そういう考え方もできますから、そう考えると納得ですよね。人文学も捉え方は様々ですね。
馬場:「人とは何か」とか「文とは何か」みたいな話題になると、話が長くなるのでこのくらいにします。
引木:ありがとうございます。ガイストを心に留めておきます。
菅:ちなみに、現在の研究内容は何をしてるんですか?
馬場:現在はドイツ語圏の日本学の方々とご一緒する機会に恵まれています。日本学というのは、主にヨーロッパやアメリカの視点から日本の文化全般について研究する学問分野です。最近では、ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン(Goethe-Universität Frankfurt am Main)の日本学科からご招待を頂いて、明治時代の日本文学がドイツとの関わりの中でどのように形成されてきたのかについて研究成果を発表してきています。
菅:ヨーロッパの日本文学を見たときに、日本で日本文学をやるのとは違うなと思う視点はありますか?
馬場:日本では、明治時代の文豪と呼ばれる人たちが、いわゆる日本文学の代表格のように捉えられると思うんですが、例えばヨーロッパの日本学だと夏目漱石の研究は実はあまり盛んではなくて。でも、 手元のドイツ語の論集では三島由紀夫や谷川俊太郎は取り上げられています。
日本を外から見た時に、その時代をよく反映しているようなテクストが好まれるのですが、それが日本で好まれている研究対象とは必ずしも重ならないことがあります。あと、日本文学は、明治時代に国文学という形で、江戸時代からの伝統的な日本文学研究を、ヨーロッパの理論を導入して作り変えたもので、それはナショナリズムが元になって作られた学問制度だという認識が定着しているように思います。
そういう意味で、日本文学を外から見ているなという印象を受けます。僕らは、日本文学を自分たちに馴染みのあるものとしていきなり読んでしまいがちですが、そのあたりの立ち位置が違うなって思いますね。

学生時代の思い出~人との出会いに恵まれて
引木:続いて、学生時代に特に思い出に残っていることはありますか?
馬場:大学の図書館に飽きると、さっき言った男の子と一緒に、よく近くのマクドナルドに行っていたんですよ。お金もないから、100円でコーヒーを頼んで、場所を陣取ってパソコンを開いてドイツ語の課題をやるっていうのをずっとやっていましたね。それは本当にいい思い出ですね。
遠山:大学に入って上京されたっていうことですか?
馬場:そうです。僕、出身は新潟市なんですよ。さっきの男の子は都会で仲良くなった最初の一人で、今でも付き合いがあるし、人に恵まれたと思います。
引木:そうですよね。関わる方に良い影響を受けて、自分で道を開いていらっしゃるなっていう印象があります。
馬場:誰かのおかげで自分が変わってきたっていうのは、すごく感じますね。
引木:素敵ですね。
馬場:でも、人と喋るのはそんなに得意じゃなかったんですよ。でも大学生の時、一人で安くお酒を飲める方法を深めまして、一人でぶらっと散歩して、ぶらっと入ったお店で人と話す機会を重ねました。
東京に出て良かったなと思うことの一つが、そんなふうにいろんな人と出会う機会が多かったことですね。その場限りでもう会わないっていう人もいっぱいいたけど、いろんな人と偶然出会えるのは、都会の魅力かなと思います。
引木:ちなみにどうして新潟に戻ってこられたんですか
馬場:ここに就職が決まったからです。日本全国にたくさん大学がある中で新潟大学に決まったのは運命を感じますね。
僕、新潟に戻ってきてすごくいいなと思っているのが、このインタビューのように学生さんひとりひとりとしっかり話す機会があることなんです。前任の大学だとそこまでなくて。僕、1年生のドイツ語のクラスを8、9クラス持っていたんですよ。だいたい1クラス多いと30〜40人くらいいて、人数が多いので、学生さんの顔と名前を覚えるのが大変でした。顔と名前を覚えているうちにもう一年が終わっちゃうみたいな感じです。基本的にみなさんとは一年だけのお付き合いで、一部の人を除いて、それ以上関わることはほとんどありませんでした。
新潟大学の場合、前任の大学より担当する授業の受講者数がずっと少ないので、みんなとすごくコンタクトが取りやすい。一人一人と話しやすいので、新潟はすごくいいなと思います。

学生へのメッセージ~日々の積み重ねの先に
引木:最後に、学生へのメッセージをお伺いしたいと思います。
馬場:学生時代はとにかく、人生の中で時間にゆとりがある最後の時期だと思います。だからこそ、今の時間を大事にするといいんじゃないかな。1年生、2年生、3年生、4年生それぞれの時間が違った意味を持って、将来に向けて降り積もっていくと思います。でも卒業したら、学生時代のことなど一切思い出さずに突っ走ったほうがいい。30歳、40歳になった時に、ちょっと振り返るぐらいでいいと思います。その時に、「あぁ、いい学生時代だったな」って思えるような日々にしていただければと思います。
引木:ありがとうございます。ちなみに、30代、40代になってちょっと学生時代を振り返るのがいいとおっしゃっていましたけど、実際に先生はどうでしたか?
馬場:こういうインタビューの機会でもないと、振り返ることはあまりないですね。あとは、同期の友人に会った時くらいですかね。それでも、大学時代には、確実に蓄積があるわけですよ、過ごした時間とか、そこで出会った人とか。その蓄積の上に年を重ねている気がしています。
引木:私もそのような大人になりたいです。
馬場:年を重ねるだけなら本当に簡単にできちゃうので、僭越ながら、大事なのは何をどう重ねるかじゃないかなという気がします。
引木:これでインタビューを終わります。本日はありがとうございました。本当に楽しかったです。
馬場:僕も楽しかったです。ありがとうございました。